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ファイナルアンサー~!

私がみのさんが座っている椅子の向かいのセンターシートに座り、周りのスタッフがばたばた準備を完了して、「はい、本番いきまーす!」と声が響いた。

ジャーンジャンジャンジャーン♪照明が上下にグワングワンと動いて大きな効果音が鳴った。ライトが私とみのさんを照らす。

「あなたの人生を変えるかもしれないミリオネアにようこそ。」みのさんがにっこり笑って私に言った。「今日の応援はどなたですか?」

「私の夫です。」カメラがロビちゃんを映した。私は振り返って後ろの応援席にいるロビちゃんを見た。ロビちゃんは案の上、すっごい緊張してるのが見て取れて、「ヒロコ、がんばれ~~~!」と言ったけど、顔は無表情だった。私はちょっとおかしくなってしまった。

「だんなさん、どちらの人?」みのさんが聞いた。

「モルディブです。」

「あら、津波、大変だったんじゃないの?」さすがはみのさん、こちらが何か言う前に聞いてくれた。

「実はそれで伺わせていただいたんです。」私はこれまでの状況をかいつまんで説明した。ロビちゃんもまだこの頃はつたない日本語ながら、一所懸命説明した。この時のビデオを見ると、本当にロビちゃんは今、日本語が上達したなあと思う。最近では、時々まるで日本人みたいにしゃべることもある。

「それでは、クイズに参りましょう。」

早速クイズが始まった。最初の方は皆さんもご存知の通り、簡単な問題だ。ところが、あのセンターシートに座っているとどんな問題でも答えることに不安になってくる。もしかしてとんでもない勘違いをしてるんじゃないか?と自分に自信がなくなるのだ。でももちろん自信があろうがなかろうが答えるしかない。

そしてわりとすぐに歴史問題が出題された。ぎゃ~出た~!と私は心で叫ぶ。もちろん、まったくわからないので、オーディエンスを使ったら会場の皆さんはほとんど答えを知っていたのでまたもやびっくりした。これって歴史問題じゃなくてもしかして常識問題?とも思ったけど、素直に従ってなんなく歴史問題を切り抜けた。もう~会場の皆さんに感謝。

そんなこんなでなんとか250万円まで、やってきた。250万円に挑戦のクイズは、「ジョン・レノンが殺された場所」だった。今から考えれば、なんであんなにわからなくって迷ったんだろう???と思うような問題なのに、あの時は真面目にわからなかった。私はオノ・ヨーコさんの自伝的エッセイも読んだことがあって、とてもおもしろい独創的な考え方にすごく感動したのだ。なのにあのセンターシートに座っていたらそんなこと全部どっかにすっ飛んでいっちゃっていた。まるきりわからなかったので、テレフォンを使うことにした。テレフォンは本番ではモニターに映るわけではないので、出演者はテレフォンの人たちの顔を見ることはできない。声だけ聞こえてくる。

「今、250万円に挑戦です。」

「250万だって!!」「え~~!!」「わあ~!」叫んでる母や姉弟の声が聞こえる。

「それではどうぞ。」

「ジョン・レノンが亡くなった場所はどこ?!」私は4つの都市の名前をすばやく読み上げた。「どれ?!」でもうちの家族はイマイチ音楽には詳しくない。知ってるかなー!!

案の定、テレフォンのメンバー=うちの家族は向こうで悩み始めた。

「え~・・・えっと~・・・。」ぎゃ~~~やっぱりわからないんだあああ~!!そしてあっという間に30秒!

「BかD!!」そう姉が叫んで終わってしまった。みのさん爆笑。

こうなったら、堅実にいくしかないので、フィフティ・フィフティも使うことにした。ここで間違えたらもう意味がない。するとラッキーなことに、ひとつは絶対違うだろうう~というのが残ったので、消去法でもうひとつのニューヨークにした。決心したとはいえ、みのさんに「ファイナルアンサー?」と聞かれると怖くてなかなか言えない。でも・・・・・・。

「ファ~・・・ファ、ファイナルアンサー!」半ばやけで言い放った。もう戻れない。いや~~どうしよ~~~!

でもここで長~いタメの後、みのさんが「正解!」と笑顔で言ってくれてほっと一安心。もう胎教にいいんだか悪いんだか。後から考えたら答えはニューヨーク以外にないよねええ。アホです。

さ、次はなんと500万円に挑戦。しかしこの問題が全然聞いたこともない問題だった。一応英語の問題なのだけど、言葉の由来なので全然わからない。勘では、Aしかないだろうと思うんだけど、500万を勘で答えてしまうのが恐ろしい。スタッフさんは事前に「**さん、テレビだからって無理して答えなくてもいいですよ。**さんにはやっぱりお金を持って帰ってもらいたいので、いつでもドロップアウトして大丈夫ですからね。」と言ってくださっていた。私もぐるぐる考えたが、ここで間違えてしまったら半分以下の100万円になってしまうし、100万じゃ家は建てられないので、挑戦するのが正直もったいなかった。今なら250万持って帰れる。

私は決心してみのさんに言った。「ドロップアウトします。」

みのさんはにっこり笑って「そうだよね。」と言ってくれた。そして「ちなみに、答えはどれだと思う?」

「Aだと思います。」

「・・・正解!」

ぎゃ~~~~~!賭けてれば500万だった・・・・・・・・・。でも、でも、250万ゲットした。とりあえず家は建てられるし、日給250万円だ!いいよね?

収録が終わった後、他の出演者の皆さんが「良かったね。」「一番必要な人のところにお金が行ったね。」と言ってくださった。他の方達も挑戦したかったのはみんな同じなのに、私とロビちゃんのために喜んでくださったのがとてもうれしかった。娘に携帯のストラップやお菓子をくださったり、とても良くして頂いた。

そして家路についた私とロビちゃんと娘。帰りの電車の中で一日を振り返った。

「始めはさ、100万でも10万でももらえるならうれしいって思ってたよね。それが250万だもん、すごいよね。がんばったよね!」

「そうだよ。でもさ・・・。」

「何?」

「500万、取れたのにね。欲しかったね。」ロビちゃんが笑って言った。

「うん、惜しかったー!」

やっぱり人間、欲はキリがない(^^)。

「惜しかったけど、ヒロコがんばったよ。十分だよ。」

窓の外のお台場の夜景を見ながら、缶のお茶で二人で乾杯をした。

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ミリオネア~~~!

さあ、本番。

何度も出演者全員で練習した自己紹介と意気込みをまずやらなくては。番組の最初にみのさんが名前を連呼して、それに合わせて「絶対とるぞ~!」とか叫ぶやつだ。ディレクターさんが来てにこやかに言う。「さあ、みなさん、大きな声でいきますよ~!」ADさん達が観客席を盛り上げる。「はい、拍手~!」

そこでスタッフの声が響いた。「みのさん、入ります~!」みんなの歓声の中、ネクタイを自分で少し直しながらみのさんがスタジオに現れた。スタッフが急いで駆け寄り、ちょこっと説明をしている。またディレクターさんの声が響いた。

「それでは、本番いきまーす!」

ジャーン、ジャンジャンジャーン♪

いつもの効果音とともに本番が始まった。みのさんのおなじみのナレーションからスタートし、その日の芸能人三人の紹介、それから私達出演者の一人一人の叫び自己紹介が始まった。私も「がんばりまーす」かなんかを言って、無事にすみ、いよいよ最初の早押しクイズになった。これだ。この早押しでできなければ。

問題がモニターに映し出される。最初の問題はとっても簡単ではっきり言って知らない人はいない問題だったのだが、私は焦って押し間違えた。慌ててクリアボタンを押して間違えて入力した答えをキャンセルし、もう一度答えの順番のボタンを押したつもりだったが、いざ画面を見てみると・・・ABCDのうち三つしか表示されていない!「えっなんで?!」焦ったのもつかの間、もちろん間に合わなくてその早押しはダメだった。

まあいいや、毎週大体三人くらいはセンターシートに座ってるから、後二回はチャンスがあるはずだ。私はそう思って一人目の挑戦者のクイズを楽しんで見ることにした。

さて、第二問目。この早押しも大体わかったのでボタンを押したのだが、今度は途中で迷ってクリアボタンを押し、もう一度答えを入力すると・・・またもや三つしかアルファベットが入力されていない!ここで愕然とした。もしかして、私・・・センターシートに出られないのかな?

二問目を取ったのはその日の芸能人だったので、エピソードや番宣も含め、結構長いクイズになった。私はそれを見ながら、もう後は一回しかチャンスがないと確信した。時間的にも後一人しかないだろう。

次の早押しの前のちょっとの休憩の時、私は一番近くにいたスタッフに二回ともアルファベットが三つしか表示されなかったんだけど、と聞いてみた。すると彼はすぐにディレクターさんの所に行き、それを聞いたディレクターさんは確実にするためにもう一度早押しの練習をしましょう、と言ってくれた。そこで全員で練習してみると、今度はなんなくABCD全部表示された。私はクリアボタンを押すと、最後に押した答え一つだけが消されるのだと思っていたのだが、どうやら全部一回消えてしまうらしいのだ。なるほど、と納得した。それなら、次は絶対一発で間違えないように打てばいいのだ。

最後の三問目の早押しになってもう~私は久しぶりにド緊張した。でもこれでできなかったらもうあとがない。やるしかない。問題がパッとモニターに出たのを見た瞬間、ぐわあ~~自分やるしかない~!と心の中で叫んだ。問題はアニメの題名で放映順に並べろ、というものだった。私はちょっとヲタク気味なので、これなら簡単にわかる!私は絶対間違えないように慎重にボタンを押した結果、時間がかかって秒数は遅かったが、やっと、なんと、一番になることができた。あ~~~センターシートだ!!

モニターに私の顔が映し出され、みのさんが@秒、**ヒロコ~!」と私を紹介してくれた。私は席を立って歩いてみのさんの前まで行き、握手をした。もう~~~本当に本当にうれしかった。ここまでくれば後は時間制限がないからゆっくり考えることができる。もう焦らなくていいのだ。みのさんと一緒に並んでいると照明がまぶしかった。

「はい、休憩入りま~す!」一声でスタッフがわ~~~っと動き始めた。センターシートに水の入ったグラスを置く人、なんだかわからないけど忙しく走っている人、センターシートに座った人の応援者用の席に移動するロビちゃん。音声さんが私にマイクを付けるためにやってきて一目見るなり、「出演者ワンピース!マイクお願いします~!」と叫んだ。すると女性の音声さんがすっ飛んで来て、「こっちへ」と私を裏へ連れて行った。マイクはバッテリーみたいな小さい箱をベルト部分に差し込むのだが、私がワンピースを着ていたのでそれを付ける場所がなかったのだ。そういう時はワンピースの下に簡易ベルトを巻いてそれに付けるのだが、さすがに男性はできないので女性を呼んだのだ。セット裏でワンピースをべろんと持ち上げて、女性音声さんにベルトを巻いてもらった。私はその時妊婦だったので「ウエストなくてすみません。」と照れ隠しを言った。服を着てたら目立たなかったけど、だって本当にずんどうだったから。すると彼女は「いえいえ。今までも妊婦さんは三人くらいいらっしゃいましたけど、皆さんいいところまで行かれましたよ。運があるんですよ。」と励ましてくれた。確かに妊婦は懸賞やくじに当たりやすい、というのは有名だ。「ありがとうございます。がんばります!」私はセンターシートに向かった。

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いざ本番へ

さて、勉強がちっともはかどらないながら、電話では担当者と毎日のように打ち合わせをしていた。自分達の状況、テレフォンには誰を呼ぶか、など書かなければならない書類がたくさんあった。その中の項目に、「本番当日のベビーシッターの必要有無」というのがあって、「これは!」と思って早速担当者に電話をして聞いてみた。私がクイズに行ってロビちゃんが応援席に行くと、娘を見ていてもらう人がいないからだ。

「あの、ベビーシッターって書いてあるんですけど、これって頼めるんでしょうか?」

「ああ、もし必要でしたら、こちらでご用意いたしますよ。一緒にお子様にも控え室まで来ていただいて、本番中はそのまま控え室でベビーシッターさんに見ててもらえます。」

「では、ゼヒ!お願いいたします!」

「はい、わかりました。」

一番の悩みはあっさり解消された。さすが、フジテレビのゴールデン番組だ。困っている所に手が届く!これで安心してロビちゃんと娘と3人でフジテレビに出かけることができる。

テレフォンには私の母と姉と弟、そして私の友達にも話をしていたのだが、弟の友達が来てくれることになった。これで、なんとか準備は整った。本番の日はすぐにやってきた。

リハーサル

本番の日、私とロビちゃんと娘は3人でお台場に向かった。ちょっと早く着き過ぎて、フジテレビの近くにあるマクドナルドで朝ごはんを食べたりした。

時間になってフジテレビの建物に入ると、ミリオネア出演者は1階のロビーで待つように言われた。ソファには他の組がたくさん座っている。中には本を見ながらブツブツ勉強しているおばさんもいる。わあ~ここまで来てからも勉強してるんだ。やっぱりこれくらいしないとダメかな・・・。私は不安になった。だって歴史はちっとも頭に入っていないままだ。そんなに付け焼き場でできるわけないよね。

すると、若い女の子がこちらを見て近づいてきた。「あの、**さんですよね?」

「はい?そうですけど。」

「私、今日のベビーシッターです。よろしくお願いします。」

「ああ~!あなたが!助かります~!こちらこそよろしくお願いします。」

彼女はとてもやさしそうな女の子で、うちの娘はすぐに好きになってくれた。

それから担当者がやってきて全員控え室に通された。控え室の端っこには畳が2畳敷いてあって、娘とベビーシッターさんはそこで座って遊べるようになっていた。すっかり彼女がかまってくれているので、私とロビちゃんは本番前の打ち合わせや他の出演者のみなさんとの自己紹介をスムーズにすませることができた。そして一度リハーサルで実際のスタジオに行くことになった。

控え室からスタジオに行く時は娘が気づいて泣かないように、ベビーシッターさんが気をそらしてくれていたので、私とロビちゃんは他の人たちと一緒にこっそり控え室を出た。

スタジオでは本番で座るのと同じ場所に座り、段取りの説明を受けてから、最初の早押しクイズの練習をした。この早押しができなければみのさんの前に座ることはできないので重大である。スタッフももちろんわかっていて、できるだけ慣れられるように何度も練習問題を出して10回くらいやらせてくれた。この練習で、早押しで一番になった回数が一番多かったのはなんと私だった。ま、なんといっても切羽詰まり方が違ったかもしれない・・・。

リハーサルが終わって控え室に戻り、「娘はもしかして泣いているかも・・・」と思いきや、ベビーシッターさんとケラケラ遊んでいた。笑顔で「あっママ、おかえり~!」と言われてびっくりしたけど安心した。やっぱりベビーシッターさんはプロだなあ~と感動した。後は本番を待つのみだ。

本番

いよいよ本番の時間がやってきた。またリハーサル同様、私とロビちゃんは他の出演者の方々に混ざってこっそり控え室を出た(他の人達はこそこそしてません)。娘は夢中になって遊んでいる。本番はちょっと長いので心配だけど、まあ大丈夫だろう。娘のお気に入りのものはたくさんお弁当箱に入れて持って来てあった。まだこの頃は娘も話がそんなにはっきりしていなかったので、ベビーシッターさんに説明もしておいた。「いこと、と言ったらいちごのことです。あと、キリと言ったらクリームチーズ(キリはメーカー名ですね)、それからお弁当には入っていませんが、トゥンと言ったらおしゃぶりです(トゥンはディベヒ語でおしゃぶり)。」という具合。これでなんとか本番2時間もってくれれば、である。

本番でさっきと同じ席に座るとなんだかものすご~く緊張してきた。ロビちゃんは応援者席に座っている。でもロビちゃんの方が私より100倍は緊張してる。だって顔がこわばっている(笑)。そしてとうとう本番が始まった!

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出演までこぎつけろ~!

ミリオネアの録音メッセージに連絡先を入れてから一週間くらいたったある日だった。

電話に出た弟が受話器を持って私の所まで来て、小さな声で繰り返した。

「ミリオネア!ミリオネア!来た!」

え?こんなに早く?私はびっくりして受話器を受け取った。「はい、お電話変わりました、**ヒロコです。」

「あ、こちらクイズミリオネアです。今回はご応募ありがとうございます。早速ですが、今このお電話で一次クイズをやらせて頂きたいのですが、お時間は大丈夫でしょうか?10分くらいかかるかもしれないんですが。」

「はい、今大丈夫です。お願いします。」時間は大丈夫だけど、気持ちは全然大丈夫じゃない。ドキドキしてきたが、声はがんばって平静を装った。

「では、今から口頭で10問クイズを出させて頂きます。それにすぐに答えてください。もしわからなくても、必ず何か答えてください。では、よろしいですか?」

「は、はい。」

それから彼女は10問クイズを出して、私は必死に答えた。クイズは色んな分野からまんべんなくという感じだった。半分くらい知ってる問題で、半分くらいはわからなかった。でも10問終わった後に、彼女は言った。

「はい。以上で終わりました。今の正解率で一次クイズ合格です。次は最終審査にお越しください。」

「は、え、え~っ!本当ですか?!良かったあ~!」

スタッフの彼女は最終審査の日時と場所を言って、電話を切った。私は何だかあっという間の出来事で呆然だった。

「なに、どうなったの?」弟が来た。

「一次通ったって。今電話で口頭クイズやったの。結構わからなかったのもあったんだけど、最終審査に来てくださいって。」

「へえ~すごいじゃん。で、どんなクイズだったの。何がわからなかったの?」

「え~っと、イチローの背番号はいくつですか?ってやつ。」

「で、なんて答えたの?」

「55番。」

「惜しいなあ~そりゃゴジラだ。」

「ギャオ~ス!!」

「よくそんなんで通ったなあ~。」

まったくです。

最終審査

最終審査の日、ロビちゃんに仕事を休みにしてもらって、娘を家で見ててもらい、私は一人でミリオネア制作会社のビルに向かった。雨が降っていてと~っても寒い日だった。

ビルの中に通されて待合室に入ると、他にも最終審査を受けに来た人がいっぱいいた。テーブルについて、まずたくさん筆記クイズをやった。150問くらいあって、こんなに筆記で頭をひねるのはものすごく久しぶりだった。昔のテストを思い出したけど、内容はやっぱりクイズなので芸能とかもあれば歴史、地理、音楽、芸術、とにかくなんでもありだった。さすがにそれだけの量をいっぺんにやるとすごく疲れた。大体育児と妊婦生活でち~っとも頭を使っていないので余計だ。

筆記クイズが終わると今度は順番に面接があった。ここでやっとどうしてミリオネアに出たいのか理由を聞いてもらえる。これならもうドキドキしないですむ。私はテストとかは苦手だけど、面接なら仕事でいつもオーディションに行っていたし、すっかり慣れている。どうしても出たい意気込みもあるし!

自分の番が来て呼ばれた部屋に入ると、スタッフが何人も座っていた。勧められた椅子に座るとすぐに中央の人があいさつをした。

「本日はお越し頂きましてありがとうございます。それでは、**ヒロコさんの出演理由と、賞金を何に使いたいかを聞かせてください。」

あらかじめ、理由を説明できるものを持って来てくださいと言われていたので、私はネットからモルディブの津波被害写真をプリントアウトして持って行った。それを見せながら、モルディブ人と結婚して日本に住んでいること、夫のロビちゃんの実家の島が大きな被害を受けたこと、実家が今は住める状態ではなくしかも家財道具もすべてなくなってしまったことなどを説明した。家はもう壊すしかないので、賞金で家を建てたいのだと言った。スタッフの方達はびっくりして聞いていた。そして私の説明が終わると、さっきの人が言った。

「そういうことなら、ぜひお手伝いしたいと思います。すぐの出演にしましょう。でも、クイズだけはどうしようもありません。**さん、勉強してください!**さんの回答結果を見てみても、強い方面と弱い方面がありますね。でも強い所はかなりの正解率ですから、あとは弱点の勉強です。何が苦手ですか?」

私は実は歴史がめっぽうダメなのだ。「歴史ものが弱いんです。」

「歴史は絶対出ますよ、出演すぐですから、なるべく勉強してくださいね!」

「はい・・・・・・。」もう不安たっぷり。でも出演できるのは本当に良かった!うれしい。

この面接のあと、またもや追加50問の筆記クイズをやらされて、家に帰った。合計200問!いやあ~疲れた。

次の日、私は娘を連れて市の図書館に行った。娘にはいつもの絵本コーナーで好きな絵本。私は、歴史の本を探すことにした。自分が飽きてしまわないように、「マンガ日本史」とか、「マンガですぐわかる!歴史!」とかマンガの歴史本をたくさん借りた。こうなったらやるしかない。でも元々興味がないので、ちっとも読み進められない(>_<)なかなか頭に入ってこない。も~今更歴史の勉強なんてムリだ~!

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とにかくやってみる?

ミリオネアは、毎週見ていた。

ロビちゃんにとってはびっくりする番組だった。毎週10人の普通の人たちが出てきて、クイズに答えるだけで、お金をもらえる番組なのだ。モルディブでは国が作ったテレビ局がひとつあるだけで、あとは海外のテレビを受信して見ている。大体はインドのMTVや映画、BBCとかのケーブルのニュースであまりテレビの種類は豊富ではない。ケーブルならつなげば受信できるので、日本のNHKのBSとかも見られるけれど、さすがにミリオネアみたいなクイズ番組はない。しかも賞金がかなりの大金だ。だって最初の方の10万だって、単純計算でも1000ドルである。挑戦して間違えて100万になってしまっても、そんなのぽんともらうには大金だ。

それに、クイズ番組というのは家で見ていると答えがわかったりするものである。私もよくミリオネアを見ながら「違うよ~これはCだって~!」とか、「ああ~なんで知らないの~Aに決まってるじゃ~ん!」とか言っていた。それを見てロビちゃんは私には簡単なのだと思っていたらしい。以前から「ヒロコも出てみなよ。」としょっちゅう言っていた。でも私はいつもふざけて「そうだよね~出れたらどれくらいまでいけるかな~。」と本気にしていなかった。でもロビちゃんは本気だったのだ。

「ヒロコ、今しかないよ、ミリオネアに行こうよ。どうやったらあそこに行けるの?」

「え~!マジで~?でも・・・・・・確かに、たとえ10万でももらえるならうれしいよね。でも・・・ほんとに本気?私なんかが行けると思う?応募した方がいいと思う?」

「だってヒロコいつもテレビ見て答え言ってるし、絶対行けるよ!今行くしかないよ。あれはどうやって行くの?」

「さあ~・・・。確か番組で”参加したい方はこちら”みたいなテロップが出てたと思うんだけど。メールとかファックスとか何かあるんだと思うよ。じゃあ今度の木曜日見てメモしてみようか~。」私もちょっとその気になってきた。だってとにかくなんでもやってみる価値はあるし、今は緊急事態なのだ。私は妊婦だし娘もいるし、どうやっても今は働けない。みのさんに頼るのもいいかもしれない。

さて木曜日にミリオネアを見てみると、”参加したい方はこちらにお電話を”と電話番号が書いてあるだけだった。私は何通りか応募の仕方があるのかと思っていたので電話だけというのにちょっとびっくりした。でもそれをメモした。

「ロビちゃん、電話しかないみたい。」

「じゃあ電話しよう、今。」

「ええ~~~いまぁ~~。」

「そうだよ、ほら。」

ロビちゃんに押されて私は電話してみた。かなりドキドキしたが、出たのはみのさんの声の録音メッセージだった。

「よう~こそミリオネアへ!」とあのみのさんが歓迎してくれて、連絡先を入れるように、と言うので、住所と電話番号、フルネームなどの連絡先を入れたら、それで終わりだった。なんだ・・・人が出て理由を聞いてくれるわけじゃないんだ・・・そりゃそうだよな・・・。ちょっと私はがっかりした。連絡先だけじゃあ、かなり不安が残った。

「ロビちゃん、連絡先を入れろって録音のみのさんが。それだけ。」

「いいよ、とにかく応募したんだから、待ってみよう。」

しかし、不安とは反対に連絡はすぐにやってきたのだった。

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家族無事確認!

朝まで一晩中ニュースを見て泣いていたロビちゃんは、会社に電話して、「頭が痛いので休ませてください。」と言って仕事を休み、またず~っとニュースを見続けた。電話もかけ続けたけど、何もわからなかった。

マーレにいるお兄ちゃんや弟とは携帯にかければ連絡が取れた。でも実家の島はマーレからはスピードボートで3時間かかる距離で、普通のドーニと呼ばれる船では10時間はかかってしまう。まだ誰も様子を見に行って戻ってきた人がいないから、まったく連絡が取れないのだ。

不安なまま一日が終わり、そんなに仕事も休めないので、ロビちゃんは会社に行った。会社では、津波があってモルディブも被害があり、ロビちゃんが急に休んだのでみんな何かあったのだとわかっていた。同じ職場の人がみんな心配してくれて、元気のないロビちゃんを気遣ってくれた。そんな状態のまま、一週間がすぎた。ニュースですごい津波の映像を見る度に私達は震え上がった。モルディブはちょっと遠いからあんなにひどくはなくても、海抜がとても低い島々なのでひとたまりもなさそうだ。ただ、島のある場所によっては全然被害のなかった島もたくさんあったので、なんともわからない。

ちょうど一週間たった日に、やっと実家の島の様子がわかった。首都のマーレから実家の島まで行って戻ってきた人達が報告してくれたのだ。

実家の島は大きな波が来て大体大人の肩くらいまで水に浸かったのだそうだ。島では流されたりおぼれたりして、16人が亡くなった。でも、亡くなった人達の中にロビちゃんの家族は一人もいなかった。マーレに戻ってきたロビちゃんの妹の話によれば、ちょうど津波が来た頃に、他の島の親戚に会いに、船の上にいたのだそうだ。津波は波打ち際や陸にいると被害や破壊力がすごいが、沖にいると船はなんなく乗り越えてしまうものらしい。ロビちゃんのママや妹は、船の上でまったく津波に気がつかなかったそうだ。そして島に戻ってみたら、津波が去ったあとで何もなくなっていたらしい。

私達は本当に涙を流して喜んだ。他の亡くなった方には申し訳ないが、ロビちゃんの家族は全員無事だった。本当に本当に不幸中の幸いだった。まだ直接連絡が取れなくても、みんなが無事だということを聞いて、まずはほっとした。それまでは、ロビちゃん一人だけでもモルディブに行こうかと話していた。でも緊急だし、お正月あけてからでも飛行機のチケットはものすごい値段だった。でもこれで一安心した。

みんなが無事だというのを聞いて、私とロビちゃんもちょっとは落ち着いて物事が考えられるようになった。実家は水に浸かってしまい、壁にヒビも入っていて危険でもう住めないらしい。しかも家財道具一式はすべて流れて行ってしまって、家の中はからっぽになってしまったそうだ。みんな島の住人は、とりあえず政府が運んでくれたテントを海岸に張って、そこに避難しているという話だった。

「どうしようか・・・。」私とロビちゃんは悩んだ。ちょうどその時私は2人目を妊娠中で貯金もそんなにないし、これから出産や色々と自分達でもお金は必要だった。でも、避難テントで暮らしているママ達を思うと、何かしたいと思った。でも一体どうしたら・・・・・・。

すると、ロビちゃんが私の顔を見ていとも簡単そうに言った。

「ロビ、やっぱりあれしかないよ。」

「?あれってなに?」

「あれ、ほら、いつもテレビで見てるやつ。お金もらえるクエスチョンのやつ。」

「もしかして・・・・・・ミリオネア?」

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スマトラ沖地震

スマトラ沖地震はまだみなさんの記憶にも新しいでしょう。

その地震が起きたニュースを私は知らなかった。うちは自営業なのだけど、その日は定休日で店は閉まっていたし、母は出かけていて、私は子供と2人きりだった。電話が鳴ったけど、店と家の電話が一緒なので、休みだしと思って出ないで留守電にしていたらモルディブのディベヒ語が聞こえてきた。急いで受話器を取ると、ロビちゃんのお兄ちゃんだった。

「お兄ちゃん、なに?ロビちゃんは今仕事でいないんだけど。」

「ああ、ヒロコ、ひどいよ、水がすごいんだ。」

「水?」

「そうだよ、マーレ(首都)に水がいっぱい来たんだ。」

「???」私にはなんのことかさっぱりわからない。しかもお兄ちゃんは英語があんまり得意じゃないので、お兄ちゃんとの会話はディベヒ語だ。私のつたないディベヒ語では無理があった。「お兄ちゃん、とにかくロビちゃんが帰ってきたら電話するように言うからね。」と言って、私は電話を切ってしまった。

しばらくすると、また電話がかかってきて、「もしもし~?**いる~?」と今度は留守電から母の友達の声が聞こえてきた。私が急いで受話器を取ると、そのおばさんが慌てて「ヒロコちゃん?テレビ見てる?だんなさんの実家大丈夫?」と聞く。「なに?おばさん、何の話?」「やだ、知らないの?テレビすぐつけて見て!地震よ、大きい地震があって津波がおきたの。モルディブも被害があったみたいなのよ。」私はそれを聞いて青ざめた。地震?津波?だってインド洋には津波なんて来た事あったっけ?さっきのお兄ちゃんはこの津波のことを言っていたんだ!私はこともあろうことか、その電話を切ってしまったのだ!

慌ててテレビをつけても日曜なのでなかなかニュースをやっていない。私はケーブルTVにして、CNNをつけた。そこには、インドネシアのスマトラ沖地震のこと、周辺とインド、スリランカ等に大きな津波の被害があったことが報じられていた。でもまだ起きたばかりで情報が少なく、キャスターももっと情報が入り次第すぐにお知らせしますとばかり言っている。それにひどい被害のインドネシア、インド、スリランカのことは出てきても、モルディブのことはなかなか出てこない。

仕事からロビちゃんが帰ってきた瞬間に、玄関で私はロビちゃんに叫んだ。「ロビちゃん、どうしよう、モルディブに津波が行ったよ!インドネシアで大きな地震があったんだって。お兄ちゃんが電話かけてきたんだけど私わからなくて切っちゃったよ。お兄ちゃんにかけて!」ロビちゃんも走って居間まで行き、CNNを見ながらすぐに、まず実家の島に電話をし始めた。実家の島では、大体みんな家に電話はついていなくて、島に4つある公衆電話にかける。電話が鳴れば近くにいる誰かがそれを取り、各家には名前がついているので、「**家の@@を呼んできて。」と言うと呼んできてくれるしくみになっている。家々に電話が普及する前に、携帯を持つ人が増えたから、家に電話は必要ないのだ。

ロビちゃんはまず家に一番近い電話にかけたけれど、電話自体がつながらない。その他の3つの公衆電話にかけても、どれも同じでかからなかった。この、島の公衆電話が4つともつながらないことが、平常ではないことの証拠だった。「あ~平気だったよ~」と、誰かが電話を取ってくれたらと思っていたけれど、その願いも空しく、私達の不安は一層深まった。

すぐにロビちゃんは首都にいるお兄ちゃんの携帯にかけた。お兄ちゃんは携帯に出て一部始終を話してくれた。首都のマーレにも津波は来てマーレ中が水浸しになったこと。実家の島は電話がつながらなくて、様子がまったくわからないこと。モルディブはひとつひとつ小さな島なので、電話が通じなければ、誰かがそこまで行かないと状況はわからないこと。もちろん実家の島にも携帯を持っている人はたくさんいるけど、どれもつながらないとのことだった。

ロビちゃんは電話で話してCNNを見ながら、ポロポロ涙を流し、「ママが死んじゃったかもしれない。」と泣いた。私も泣いた。そして2人でず~っと一晩中CNNを見続けた。

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奇跡の人

私の友人で、ほんとに珍しくない菌が原因で生死の境をさまよった人がいます。

彼女は全く普通に生活していて、「なんか具合悪い・・・風邪引いたかな?」と言ってるうちに倒れ、一時は病室で目しか動かせない状態にまでなりました。医者も「どこまで回復するか・・・・・・。」と言い、よくいっても車椅子は避けられないでしょうということでした。

でも彼女は今回復して懸命にリハビリした結果、車椅子にも座らず、杖も取れ、普通に歩いて通勤しています。もちろんまだ後遺症はあるけれど、見た目は全然わかりません。それがどれほどのリハビリだったのか私にはわからないけれど、彼女に会うと、ただただすごいなあと思うばかりです。彼女も奇跡の人です。

そしてもう一人、奇跡の人だと思うのは、私のおばあちゃんです。

おばあちゃんは当時にしては晩婚で、やっと結婚しただんなさんは戦争で南の方に行って病死してしまいました。残されたおばあちゃんと娘、(この娘が私の母です)はずっと東京に住んでいました。おばあちゃんの家系は600年くらい前から江戸(!)に住んでいるので、親戚も知り合いも東京にしかいません。つまりは、疎開する先がなかったんです。

おばあちゃんは2歳の娘を連れて空襲を逃げ回りました。背中におんぶして、必死に走ったのです。私は自分の娘が2歳になった時、すごくおばあちゃんのことを考えました。もし、今空襲がきたら、私はこの子をおんぶして走って逃げられるだろうか。2歳はとっても重いし大きいし、火の海の中を、どれだけ走って行けるだろう。考えただけで恐ろしいです。だんなさんもいなくて、たった2人で、自分がこの子を守らなきゃと、「死ぬときは一緒だと思っていた。」とおばあちゃんは私に言いました。

ある日、おばあちゃんは「次に空襲が来たらあっちに逃げよう」と、ルートを考えて寝たそうです。そして、もちろんやってきた空襲警報。おばあちゃんはいつものように母を背負って、空から降ってくる火の中を無我夢中で一晩中走って逃げ、へとへとになってあたりを見回したら、考えていたルートとまったく逆の方角に逃げてきていたんだそうです。

家も何もかも焼けてしまって、あとで人に聞いた話では、始めに逃げようと考えていた方角は火の海になって、ほとんどの人達が亡くなったのだそうです。「あの時、考えていた通りにあっちに逃げていたら、きっと私もヒロちゃんのお母さんも死んでいたね。」とおばあちゃんは言いました。「ヒロちゃん、運命なんだよ。」

もし今だったら、きっと私は2人の子供を連れて何かから逃げるなんてこと無理でしょう。ロビちゃんと子供達と公園に行って遊んでいると、本当に幸せだなあと思うのです。

おばあちゃんも奇跡の人です。きっとみなさんの周りでも、とても身近な誰かが奇跡の人だと思います。み~んな奇跡がつながって生きているんですね。

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北海道編~あとがき~

北海道編が終了しました~。書いている間、とっても懐かしかったです。これが書きたくてブログを始めたようなもんだしね。

よく友達に「一人で車で信じられない!」と言われますが、私の車の旅のルーツはアメリカにあります。

私は19歳の時、アメリカの大学に留学しました。当時流行っていた留学システムというのに入って、そこからオレゴン州の州立大学に行きました。私はそれまで絵ばっかり描いていたので、もちろん車の免許なんて持っていなくて、運転はしたことありませんでした。でも、アメリカに行ってびっくり、待っていたのは車がないとどこにも行けない事実。大学と、大学のある町以外に、徒歩ではどこにも行けない広さだったんです。まあ、アメリカはどこでもそうですね。

留学システムで知り合った人と付き合い始めたのですが、彼はモンタナの大学に行きました。つまりは遠距離恋愛です。オレゴンの隣がアイダホで、その隣がモンタナ。隣の隣とはいえ、日本列島がすっぽり入るくらいのデカいモンタナ。夏休みや冬休みにはなんとか節約したお金で飛行機のチケットを買って、モンタナの彼のところまで会いに行ったものです。

彼はアメリカに行ってすぐ車を買ったので、その彼の車でよく旅行をしました。モンタナとオレゴンはもちろん往復し、モンタナからラスベガスへ遊びに行こう!とユタ州のソルトレイクシティを通ってラスベガスのあるアリゾナへ。また留学システムのみんなで最初にサマークラスを取ったコロラドの大学へも行き、そこからニューメキシコのアルバカーキへ行ってみたり、帰りにはアイダホの友達の所を経由したり。オレゴンの友達とも、オレゴンからサンフランシスコ、LAと、一番西の海際の国道「I・5」を南下したりもしました。

つまり、西海岸と西側はほとんど車で縦断しています。でも、自分で運転はまだこの頃はしたことはありませんでした。ただ車で長距離走ることの魅力にはどっぷりはまってしまったんですね。大学生で、当時の学生ビザではアルバイトは禁止されていたので(今はどうだかわかりませんが)、みんな親からの仕送りだけをやりくりしての貧乏旅行だったのがまた、楽しかったのかもしれません。

オレゴンから小さい車に4人で乗って「OINGO BOINGO」をガンガンかけながら夜まで走り続けてサンフランシスコの明かりが見えた時の感動!マイナス20度のモンタナの雪道で凍った道路でスリップして雪の塊に突っ込んだ時の恐怖!

中でも、未だに信じられないような車だったのが、モンタナの彼が一番最初に買った車で、どうしてよりによってこの色に?と思うようなまっ茶色のZでした。その茶色いZはこれ以上ないくらいボロボロで、学校の寮から日本食レストラン「将軍」にごはんを食べに行くだけで途中で3回くらい止まって、みんなで押しがけしないと走り出さないような車でした。しかも何ヶ月か乗っている間に助手席の床に大きな穴が空いてしまい(!)走るとそこから風と泥と雪がグワァ~~~~~っ!!!と吹き込んできて窒息&凍死しそうで、罰ゲーム助手席と命名されたほど!あまりにひどいので彼はそのZを売ったのですが、なんと後日!町中でまぎれもなくあのZがそのままのまっ茶色なボディで走っていたのを目撃したのでした。売れたのもすごいけど買った人がいたのもすごい!まさに絶句カーでした。

私はアメリカの後、カナダに一年住んでそこで免許を取りました。それから帰国、しばらく日本にいましたが、その時に付き合い始めた人が今度は一年間、アメリカに留学しました。また遠距離ですね。せっかくなので、LAに住んでいた彼の所に長期で遊びに行った時、その彼が自分も車で旅をしてみたいと言いました。そこで、2人でフロリダまで行ってみよう、と決めて出発したのです。LAのあるカリフォルニアからフロリダ、ほとんど真横に一直線、今度はアメリカ横断です。アホですね。これは、長かった。と言うか、遠かった。実はこの時の自分で運転した経験があるから、日本国内くらいなら、一人でも行けるだろう、という感覚があります。どう考えてもあのLA~フロリダの旅に比べれば、距離も短いし、日本だし言葉も通じるし、大丈夫と思ってしまうんですね。あのフロリダまでの旅も忘れられない濃い~思い出です。

途中のアリゾナ州で巨大なサボテンと一緒に撮った写真、ミシシッピ州で記念に開けた3個めのピアスの穴、州境で「Welcom to Florida」の看板が見えた時の感動、またゆっくり書いていけたらいいなあと思っています。でもずっとずっと前で、記憶が北海道よりずいぶん薄れてるけどね・・・。

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息子劇的変化!

息子がやっと歩くようになりました。つかまり立ちしても、ハイハイがずいぶん長い間あり、また足が出るようになってからも2~3歩だったのに。ある朝突然とことことこと歩き始め、「なんで昨日まではできなかったの?で、どうして今日からはできるようになったの?」という感じでとことことことこ・・・。うちの子供達はどうも「ある朝突然」が多いようです。

そして、性格にもガラッと変化が。今まではすごい人見知りで、誰でも近くに寄ったらおびえ、誰に抱っこされても泣き、私にべったりで私がちょっとテレビのリモコン取るために動くだけで泣く始末・・・。と~っても心配してたけど、急に泣かなくなったんです!いつも通っているアクアの先生にもにこにこ(それまでは私にくっついて先生の顔を見なかった)。遊びに来た娘のお友達のママにもにこにこ。

そして何よりもびっくりしたのは、鼻風邪を引いて連れて行ったクリニックで泣かなかったこと!クリニックではもう先生の前に座った時点で泣き始め、聴診器で大泣き、のどの奥をべ~っと見るので大激怒!なのに、「え?なに?」って顔して泣かずに診察終了。私が一番びっくりしましたよ!!!そしてその次の週の予防接種でも泣かなかった!こりゃたまげた!

一体何が起こったんだ?!と思っていたら、ふと気がつくと・・・・・・これって歩き始めてから?かな?そう思って考えてみれば、歩くようになって、自分から私のそばを離れてどんどん歩いて行くようになったんですね。昨日もロビちゃんがお休みで一家でフットサルに行ったんですが(参加はロビちゃんだけで、後は応援です)、交代で休憩しているお兄さん達の間を大手を振ってとっとことっとこ・・・・・・。びっくりして道を開けてくれるお兄さん達と、どんどん歩いて行く息子の後ろ姿を見て・・・あ~もうほんとに赤ちゃんじゃなくなっちゃったんだなあ~としみじみ思いました。

甘ったれだなあ~って思っていたけど、きっと息子が親から離れてどっかへ行く日はすぐやってくるんでしょうね~。考えてみれば、ロビちゃんだってお母さんからこんなに遠く離れた国まで来てるんだもんね。しかも電話も月イチくらいだし。息子って遠くに行っちゃうもんだと思って、それまでに自立できる男になれるように育てよう~!歩き始めたばっかりの息子はどこまで歩いて行くんだろうね~。ママが見るのは後ろ姿ばっかりかもしれないね。どこでもいいよ、行けるとこまで行っといで。

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道内走り納め

私は次の日早く起きて、さっさと支度して、昨日説教しようとしてたライダーは丸々無視して号竹を後にした。これまでライダーとは旅の話をしたり、情報を交換し合ったり、とても楽しく過ごしてきた。号竹のライダーは始めて何も話をしなかったライダーだった。彼の旅は果たして楽しいのだろうか。それとも単にライダーハウスで女性と会ったのが初めてだったのか。

彼氏一号

昔、同じような嫌な思いをしたことがある。

私が美大受験で美術予備校に通っていた頃、生まれて初めてできた彼氏に言われた言葉だ。彼は、「女の子なんだから、いつか結婚するんだしそんなに頑張って絵を描かなくてもいいじゃないか。」と言った。私はそれを聞いてこの人はほんとは着ぐるみで中にはおじさんが入っているんじゃないかと思ったくらいびっくりした。同じ年の、当時19歳だった男の子に「女の子なんだから頑張らなくてもいい」と言われるとは全く思ってもいなかった。しかも、私達は一緒に「目指せ芸大!」とかやっていて、つまりは同じ志の仲間だと思っていた。もっと画力が欲しい、もっと良い絵が描けるようになりたい、という気持ちは同じだと思っていた。だから良い大学に入って良い環境でもっと自分を向上させたいと思っていた。なのに、「女の子だから頑張らなくてもいいじゃないか。」とは???じゃあ女だったら努力しないで何も自分を伸ばさずに結婚して家に入れって遠まわしに言ってるってことなのかな・・・?本当に本当にショックを受けた。しかも彼はこうも言った。「芸大に受からなくてもさ、どこでもいいから私大に引っかかってくれればいいよ。」これにはさらにショック!!!「どこでもいいから」?「引っかかってくれれば」???私って一体なに?彼の言う「女の子だったら」、人生どうでもいいってことなのか~?

この会話で私はすっかり恋心も冷めてしまった。初めての彼氏で浮き足立っていたけど、もう一緒にいる意味がわからなくなって、私はすぐに別れたいと言った。浪人生だったし短かったし、なんだかこれでほんとに彼氏?みたいな感じのまま、あっという間に別れてしまった。

このライダーも同じだと思った。自分も旅のおもしろさを知っているはずだ。だからこそ、1人でバイクで走ってライダーハウスに泊まっている。なのに、「女の子はこんな所来たらだめでしょ。」と言うってことは、女性ってだけで「旅」をする平等の権利を与えていないのだ。女性がもし安心して一人旅ができないのなら、危険な男がいるからじゃあないのか。それを女性側にダメ出しをするのはズレていないだろうか。原因を見ないで、文句を言う箇所が間違っていると思う。

ずいぶん話がそれてしまったけど、そんなわけで号竹はせっかく電車というおもしろいハウスだったのにあんまり堪能できなかった。北海道もそろそろ出発しなければならないし、折り返し地点を回って帰り道に足を踏み入れた実感がした。

名残惜しく

もう少しきれいな山を見ていたくて、横に羊蹄山を見ながらのルートで走った。紅葉にはちょっと早くて、そんなに山の色は変わっていない。紅葉したら、きっとすごい綺麗なんだろう。ダートをなるべく選んで走り、函館まで行った。北海道もとうとう最後、函館からまたあのフェリーに乗り、とうとう本州に戻ってきた。さあ、まだまだここからが長い。

八戸の東北自動車道に行くまでの道のりがとても長かった。道がぐにゃぐにゃしていて走りにくい所もあったし、そんなに大きな道路ではないので飛ばせるわけでもない。天気があまり良くなくてどんより灰色に曇っている中をひたすら走り続けた。横に海が見える道路で、海の上の空に夕焼けが広がり始め、どんどんきれいな色に染まっていった。雲が多い方が太陽の光をより多く反射して夕焼けがきれいになる場合が多い。まるで天使でも降りてきそうな光の筋が雲から海に差し込んで、久しぶりに見る素晴らしい夕焼けだった。途中で車を停めて空の写真を何枚か撮った。

東北自動車道一気!

夕焼けがすんでからは写真で止まったりもせず、順調に走って八戸まで行き、東北自動車道に乗った。もうすっかり夜になってしまっていた。私はかなり疲れていたので、まず仮眠を取ることにした。疲れには寝るのが一番だ。

ちょっと寝てすっきりした所で起きて顔を洗い、気合を入れて走り始めた。こうなったらもう一気に東北自動車道を南下しよう!

到着~旅おしまい~

私は結局そのまま朝まで走り続け、横浜のアパートに到着した。行きには迷いそうであんなに困った都内の道のりも、帰りは横浜を目指せば良かったから、簡単だった。いつもの場所に車を停めてアパートの鍵を開け、中に入って時計を見た。6時過ぎだった。さわやかな朝だけど、自分はどろどろに疲れていて、眠い。

それでもまず、青虫文太に電話した。宝来に帰れなかった日、電話で横浜に戻ったら文ちゃんに電話で報告すると約束していたのだ。なんと言っても、おうちに帰るまでが遠足、無事は報告しようよと、文ちゃんが言ってくれていた。

文ちゃんとお母さんに無地帰還の電話をした後、ばったり寝た。10日ぶりの自分のベッド。あああ~な~んて気持ち良い~!自分のベッドがすごい高級品に思えた。でも帰ってきちゃって、ちょっとさみしかった。まだまだ走っていない所がたくさんあって、もっと北海道にいたかった。もっと知らない道を走ってみたかった。もっと色んな人とも会ってみたかった。絶対また行こう。

そう思いながら明日の準備をしなきゃなあとため息をついた。次の日はゲームショウのリハーサルだ。旅から戻ってきて、待っているのは~ああ、現実。

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登別の電車ハウス

さて、きれいなちろりん村でゆっくり休みながら、そろそろ帰り道を考えながらルートを決めることにした。休みはあと3日、戻らなければならないから、そろそろあまり奥地に入らずに走らないと。

次の日はとてもきれいに晴れて、私たちはちろりん村の前で写真を撮った。まだ一日余裕があるので、地図を見て、なるべく細い道細い道へと進んだ。広い国道の景色もいいけど、細い道の味のある景色はすばらしかった。片方が海で、もう片方が小高い丘になっていて、その丘の奥に続く道の手前には真っ赤な鳥居が立っていたり、黄色い野花の咲く中にものすごく古い木造の民家があったり、(洗濯物が干してあって、誰かが住んでいる!)どこもかしこもそのまま絵になる景色ばっかりだった。私はめちゃくちゃよそ見をしながら走った。天気が良くて窓を全開にして入ってくる風がとても気持ち良い。スピッツも耳に気持ち良い。な~んて素敵なんだろうと何度も思った。

電車のライダーハウス

のんきに田舎道をとろとろ走って支笏湖まで来たあたりで日が暮れてきた。さあ、また泊まるライダーハウスを探さないと。地図を見て、とりあえず登別へ向かった。登別は温泉もある。お風呂にも入れる♪

地図で号竹というライダーハウスへ向かった。号竹は周りになんにもない草むらみたいな中にあって、真っ暗だった。私はティナ坊を停めて、中に入った。また前もって車から電話をしておいたので、すぐにおじさんが出迎えてくれた。民宿?みたいな感じだけど、すごく建物の中がごちゃごちゃしていて、不思議な感じだった。

「いらっしゃい。こっちどうぞ。」

通された部屋は、あたり一面に物が飾ってあって、壁が全く見えない部屋だった。木彫りの何かだったり、おみやげものだったり、日本人形だったり、時計だったり、なんでもかんでも壁という壁、棚という棚、すべてにだぁ~~~っと並べてあった。その部屋の中央にこれまた大きな木の机が置いてあり、手前に座布団が置いてあった。私はその座布団に座ったがこのものすごい部屋に、思わず口を開けたままぐるぐる周りを見回した。

おじさんはお茶を淹れて机に置いてくれた。

「さ、お茶どうぞ。」

「ありがとうございます。」座ってお茶を飲みながら、「すごい部屋ですねえ。」と聞いてみた。

「これね、みんなもらい物なんだよ。」

「もらい物ですか。」

「最初一個か二個、自分で物を飾ってたら、みんなが”これも一緒に置いてくれ””これも飾ってくれ”って持ってくるようになって、それでここまでになったんだ。」

「はあ~。」なんか、供養寺みたいだ。

「僕もね、ここに来たってことは縁があるんだと思うから、持って来られた物は全部飾るんだ。絶対捨てないで飾ってるんだよ。」

ますます供養寺だ。

「これだけあると壮観ですね。」

テーブルの向こうには男の子が座っていた。おじさんが彼も今日ライダーハウスに来たライダーだと紹介してくれた。私たちはそこでひとしきりおじさんの話を聞いてお茶を飲んでから、ライダーハウスに移動した。ハウスまではおじさんも一緒に来て案内してくれた。というのも、その供養寺のような部屋のある建物とは別で、外にあったからだ。

外のすぐ脇にあったハウスは電車だった。

「電車?ですか?」

「そう。古くなった車両をね、ゆずってもらったんだ。僕が大好きでね。」わかった。このおじさんは物をもらうのが好きなのだ。「この中だよ。」

中に入ると、本当に電車だった。でもシートははずされていて、とても広く平らになっていた。その床にカーペットが敷いてあって、そこに寝袋を広げて寝られるようになっていた。もちろんカーペットは天井からぶら下がる電球の薄暗い中でも、汚いのがわかる。ま、でも寝袋の中に入るのだから、問題ない。こんな電車のライダーハウスで寝るのもおもしろいし。

「お風呂、沸いてるから入っていいよ。」おじさんが言った。「うちのは温泉だよ。」

「温泉!」すばらしい~!登別温泉だ♪先に来ていたライダーはもうお風呂に入ってお茶を飲んでいたそうなので、私はすぐにお風呂をいただくことにした。

昔懐かしい小さな正方形のタイルのお風呂での~んびり暖まり、ぽかぽかのまま急いで電車に戻った。あったまっているうちに寝てしまおう。

ハウスの中ではライダーが電気を点けて待っていてくれた。「ごめんね~ありがとう。」私は寝袋の中に潜り込んだ。「あ~あったか~い!」でもあの納沙布とかから比べればそんなに寒くはない。だっていくら寝袋とは言え、こんなカーペット一枚の鉄の電車の中で寝られるのだ。

がっかり

2人とも寝袋に入って電気を消した。電車の窓から星が見える。こんな風に星を見ながら寝るのなんて、アメリカでのキャンプ以来だ。するとライダーが私に聞いた。

「ねえ、こういうの平気なの?」

「?平気って?」

「こんなさあ、ライダーハウスに一人で来てさあ。」

「うん?」

「女の子で男と一緒にこんなとこ泊まって」

「???」

「だめじゃん。」

わかった!なんと、私はこのライダーに怒られているのだ!

「だってライダーハウスって雑魚寝が基本でしょ。女の子のライダーももちろんいるし、そういうの踏まえた上でのルールあるライダーハウスなんじゃないの?」

「でも、良くないよ。こんなさ。」

このへんで私は段々頭にきた。せっかくここまでいい旅をしてきたし、今まで会ったライダーもみんな良い人たちだった。良くないとか言うってことは、自分にそういう気持ちがあるから言うんじゃないのか?とも思った。見ず知らずの男に説教される覚えもないし、こんなぼそぼそ”よくないよ”とか言ってる奴、気にしないことにしよう。

すると、タイミングよく私の携帯が鳴った。見ると、北海道に出発する直前の、イタリア時計の新商品発表会の仕事で制作やってた人からだった。

「もしもし~。」

「おう、夜にごめんな。また仕事頼めないかと思ってさ。*日から@日まで空いてる?」

「あ、じゃあ明日事務所にスケジュール確認してみます。家の留守電に事務所から何か入ってるかもしれないんだけど、今日は留守電まだ聞いてないし。」

「え?お前今どこにいるの?」

「登別。」

相手は一瞬絶句した。「え?どこ?」

「だから、の~ぼ~りべつ。温泉入っちゃった~♪」

「はあ~?!」

「だって、仕事の時にこの仕事終わったら北海道に行くって私言ったじゃないですか。」

「え~!お前マジで行ったの?!俺はまた冗談かと思ってたよ・・・。」

「それって冗談とは言わないでしょ~。行くって言って行かないのって嘘つきですよ。ていうか、虚言?」

「いや~・・・・・・で、なに、飛行機?」

「まさか~車ですよ。車で帰るんで、まだ後2~3日かかります。」

「はあああ~~~?!お前車で行ってんの?一人で?」彼は私のこの旅行を聞いて、多分一番びっくりした人だと思う。

「いや、ま、いいや、とにかく気をつけて無事に帰ってきてくれよ!仕事、頼むからな!あ、そうだ、イタリア時計の仕事の請求書、書いて送って。」

「は~い。」

「次頼みたい仕事、ギャラ、#並びでどうかな?」その値段は私の今までの単発仕事のギャラの中で自己最高記録の値段だった。跳ね起きるくらい驚いたが、あんまり驚くと自分の手の内が見えてしまいそうなので、わざと普通に振舞った。「はい、じゃあ#並びでOKです。」でも手ではガッツポーズ!!!やった!

「じゃな、また連絡するわ。しかしお前・・・・・・ま、いいや。お疲れ様。」

「お疲れ様でした。」

彼は最後までびっくりしたまま電話を切った。私は次の仕事の話がうれしくてさっきのライダーなんかすっかり無視して寝袋に潜り込んだ。もちろんライダーも、話は丸聞こえで黙って聞いていたけど、電話で中断されて話の腰も折れたしもう何も言ってこなかった。私は気持ち良くぐうぐう寝た。

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息子語録

娘語録を書いたので息子のも。

「バ!」=「バナナ」

「パ!」=「パン」

「バーバー!」=「ほしい、もしくはやってみたい」

「ダーダ!」=「ほしい、もしくはやってみたい」

「ナイタン」=「おねえちゃん(娘のこと)」

そしてもちろん、ママは「ママ!」パパも「ママ!」です。(多分彼にとって人間は今の所みんなママか、マ行)

ここまで読んで「全部同じじゃん」と思ったあなた、その通り!ほとんど一緒です(^O^)

「今ので何言ってるのかよくわかったねえ!」と言われますが、単に24時間一緒にいるからですねえ。

でも最近は大人の言う言葉をそのまま音だけ、たまたま真似できた、というのが現れてきました。昨日も散歩中に犬を見てしきりに指さして「あ!あ!」と言っているので、「わんわんだよ。」と言ったらすぐに「わんわん。」と繰り返したのでびっくり!でもその一回が偶然できただけで、その後何回言ってももう、わんわんとは言ってくれなかったんですけどね。でも私はすぐにこういう時「わんわんって言った!すごい天才だ!」と大喜びするのですが、それは息子が天才なのではなくて、親がバカなのですね~!

息子はイエス・ノーがとてもはっきりしています。「お水飲む?」イヤイヤ、と首を振ります。「そこダメ!こっちおいで!」イヤイヤ。「おにぎり食べる?」イヤイヤ、パンを指差して「パ!」その時の食べたいものの気分とかもきちんと伝えてくれるのでとても助かります。

その点娘はちょうどこれくらいの頃、自分の意思が出てきているのに言葉が出てこなくて伝えられなくて一番かんしゃくを起こしていた時期でした。もどかしいのがよ~くわかるのですが、「もう~一体何がしたいの?!」とこっちもイライラする日々。ところが息子は誰が教えたわけでもないのに自分の欲しいものが出てくるまでイヤイヤ、と首を振り続け、こちらも一つずつ聞いていけばいいのでキイ~!となることも少ないのです。色々ですね。

娘は今はあまのじゃく期で、一筋縄ではいかず、そりゃもう大変。まず何でもとりあえずイヤ、と言うところからスタートです。着替えでも、着てるのを脱ぐのはイヤ、服を脱いだら着るのはイヤ、ごはんも食べるのイヤ、甘いものちょうだい、と毎日戦いです。お風呂なんかも、

「**ちゃん、お風呂入ろうか。」

「やだ。」

「じゃあママ弟くんと入ろうかな。」

「行っちゃダメ!」

私がさっさと息子を連れてお風呂に行くと後から泣きながら「**ちゃんも一緒に入りたかったのにぃ~!」じゃあさっさと来ればいいじゃん!と言いたくなるのをぐっとこらえ、次の日は違うやり方で。

「**ちゃんお風呂入ろうか。」

「やだ。」

「**ちゃんが一緒に入ってくれないとママさみしいなあ~。そんなこと言わないで一緒に行こうよ。」

「今これやってるの。いいよ、ママ行ってきて。」

「そう?」そしてお風呂に入ると「ママ、なんで勝手にそういうことするの!ダメだって言ったでしょ!」と怒る。

気分はもう「どっちやねんな。どないせぇっちゅうねん。」です。その後しばらく、「どっちやねん」が私と娘で流行しました。ま、平和ですね。

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娘語録

強風

良いお天気で風が強くて気持ち良い日のお散歩。娘は向かい風に思いっきり口を開けて「あ~~~~!」そして「ママ、風、飲んじゃった!」

鼻づまり

急に涼しくなってちょっと鼻がグズグズ。私に片方の鼻の穴を指差して「ママ、こっちの鼻が聞こえなくなっちゃったよ。」

プロム

テレビでアメリカの高校生の映画をやっていて、プロムというダンスパーティーのシーンになった。きれいなドレスでボーイフレンドと踊る主人公の女の子。娘はくるりと振り返り、「ママ、ママもパパとこれやった方がいいよ!」いや、もちろんできるならやりたいですけどね・・・。

女同士

スカートをはけば「ママ、かわいいね。」たまにお化粧をすれば「ママお化粧したの?きれいだね。」3歳でも女の子って「女」なんですね~。もちろん、何もしてないひどい日は、「ママ今日はきれいじゃないよ。」と手厳しいコメントをいただきます~。がんばります~。

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粘土楽しいよね♪

娘のお友達がダンスを発表すると聞いて、今日は市のフェスティバルに行ってきました。手作りグッズのお店も出ていて、娘と私はすっかり気に入り、そのままユザワヤに直行!気に入っても買わないで材料をゲット(^_^)買ったのはこむぎこ粘土です。考えてみれば結構前から娘は粘土をやりたいと言ってたような・・・。

買って帰ったらすっかり夢中になって粘土でずいぶん遊びました。4色入りだった粘土もみーんな混ぜちゃってものすごいマーブルに(笑)そしてさっき寝る前に布団の中で私に「ママ、今日は粘土買ってくれてありがとう。いつも何でも買ってくれてありがとうね。」と言ってくれました。うれしかったけどちょっと引っかかる???「何でも買ってくれて」って・・・・・・。私ってそんなに買って与えてるのかしら???もしかして買いすぎ?娘はぐうぐう寝てしまいましたが私は気になって仕方ないです!一体どこで線を引いたら良いのでしょうか~・・・。それ以前に私の育児はその線のどのへんなのでしょーか?

自分がやっていた手前、つい画材や工作材料など、クリエイティブなものは買っていいや、という考えがあるので、そのへんは買うのにあまり悩まないんですよね。それとも「買ってくれて」の中にはいつも買う牛乳やパンなんかも含まれているのかも?まあでもちゃんとありがとうと言ってくれる子に育ってくれているのはうれしいです。やっぱり基本は「ありがとう」と「ごめんなさい」ですよね~。この幹がないと他の感情の枝葉は複雑に分かれて行けないと思うし。それにしても・・・気になるなあ~・・・。

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変?なボキャブラリー

しりとり

以前ナレーターの仕事をしていた時、コンパニオンの子達とヒマな時間に2文字しりとりをやった。2文字しりとりっていうのは、最後の2文字でしりとりをすることで、例えば「りんご」とか、「かくれんぼ」みたいに最後から2文字目に「ん」がきてしまうと負けである。

私の番がきて、前の子が言ったのがなんだったか覚えてないけど、「だー」から始めなければならない。「だー、だー」と考えて、ダースベイダーを思いついた。これなら次の子もダーから始めることになって困るにちがいない。なかなかいいやつを思いついた。そう思ってにっこり答えた。

「ダースベイダー!」

するとみんなキョトン(死語)。そして一言。「ヒロコちゃん、ダースベイダーってなに?」

「えええ~!ダースベイダーだよ?!」

「知らないよ、ねえ?」

「うん、知らな~い。」口々に言う女の子達。

えええ???これってジェネレーションギャップ?ナレーターに比べてコンパニオンの女の子達は比較的若い。でも、スターウォーズってまだ完結してないし、それって現役ってことだから、ジェネレーションギャップではないよねえ・・・?マニアックすぎ?いや、ダースベイダーくらいになれば結構メジャーでポピュラーだと思ったけど・・・。

私は両手を丸めて口を隠してダースベイダーの真似をした。「ほら、こういう人だよ、スターウォーズの黒いマントとマスクの、シュゴーッ、シュゴーッ、アイム ユア ファーザーー、シュゴーッ。」

「・・・・・・。ヒロコちゃん、みんなにわかるやつにしてよね。」

「うん、そうだね。ごめん。じゃあ~えっと、ダーマト。」

みんなが黙って仕事に戻って行ったのは言うまでもありません。

ちなみに・・・ダーマト=正式名称ダーマトグラフ:軟らかい芯で周りをぺりぺり引っ張って剥いて芯を出す鉛筆。粘りのある脂っこい芯のためガラス面やプラスチック面に描きやすく建築やデザインなどに便利な画材(^_^)小学生の頃一回は流行ったよね?!

ゲゲゲのゲ?

またある日、私はモーターサイクルショウで仕事をしていて、入っているブースの社員さんに懸賞の商品のクッションをもらった。クッションには**電工という会社名と、エンジンに目と鼻と口をつけて野球のキャップをかぶせたキャラクターの絵が描いてあった。

「これって、会社のキャラクターですか?」クッションをくれた社員さんに聞いてみた。

「そうだよ。」

「名前とかあるんですか?」

「おう、あるよ。」

「なんていうんですか?」

「当ててごらん。3文字で、げで始まるんだ。」

「げ、ですか~?え~、ゲゲゲくん?」

「ゲゲゲくん?!そうじゃなくてもっとほら、あるでしょ~。」

「ゲですよねえ・・・。えっ、もしかして、ゲリラくん?」

「なんでゲリラなの~!普通にあるでしょ、フツーに~!」

「普通に・・・?あ、なんだ元気くんかぁ~。」

「そうだよ~。第一会社のキャラクターにゲリラくんなんて付けられるわけないでしょー。君、変わってるねえ~!おかしいよ~?」

すんません。ほんとーに「元気くん」って浮かばなかったんですよー・・・・・・。

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青虫文太後日談

霧の中、ナイタイ高原の牧場でアイスクリームを食べた。牧場の中に観光用のお土産屋さんがあって、アイスを売っていたのだ。北海道のアイスはとーってもおいしい。もう北海道は何でもおいしい。寒いんだけど、アイスを堪能してからティナ坊に戻った。やっぱり走る以外にあんまりやることがない気がした。

なんとはなしに、富良野に戻ることにした。また宝来に泊まって今日は文ちゃんのにんじんを食べよう。そう思った。でも結果的に、宝来に戻ることができなかった。納沙布から富良野まで来た時には、結構長距離を移動できる自信みたいなものができていた。でもナイタイ高原は山で、地図ではわかりにくいけど高低差があったのだ。そして山を登ったり降りたりしながら、ぐるっと回って富良野に行かなければならない。この「ぐるっと回って」がまた、かなり時間がかかった。そして富良野に着く前に、すっかり真っ暗になってしまったのだ。私は途中で宝来に戻るのをあきらめ、そこから目指せる近いライダーハウスを地図で探した。富良野に戻る途中に、二つライダーハウスが並んでいる場所があったので、とにかくそこまで行くことにした。二つ並んでいるのだから、どっちかには泊まれるだろう。

ちろりん村

一本道で木の他には何もない所に二軒、ライダーハウスが並んでいた。私はゆっくり走って両方見てみてから、きれいなログハウス風の方に入った。ハウスの前が広く空いていて、そこにバイクや車を停められるようになっていた。ティナ坊を停めてから中に入ると、おばさんと2人のライダーがいた。

「こんにちわ~どうぞ。」おばさんがやさしく迎えてくれた。なんだか今までのライダーハウスとは感じが違う。ハウスもすっごくきれいで木目が上品なログハウス風、中もキッチンと男子部屋、女子部屋と二つある。これってほんとにライダーハウス?と疑いたくなるようなペンション風だ。部屋の中には合宿所みたいな作り付けの二段ベッドまであった!

「うちは一泊一人1000円よ。」

う~ん安い!あんまりきれいなのでちょっと心配していたのだけど、値段は普通のライダーハウスだった。ヨカッタ!

私はそこでちょっと落ち着いてから、文ちゃんの携帯に電話した。たどり着かなかった時心配しないように、あらかじめ聞いておいたのだ。

「文ちゃん?ごめん。だめだったー日が暮れたよ。」

「なんだよ~。にんじんいっぱい採って待ってたのに~。今どこ?」

「ちろりん村ってとこ。」

「ちろりん村!懐かしい~!俺さ、自転車でそこの隣のやつに泊まったことあるよ。必死で走ってきてちろりん村あるの知らなくて最初に見えたハウスに飛び込んじゃったんだよ。でもそっちの方がすげえボロでしかも変なおやじがやってて、そのおやじとケンカしたんだよね。で次の日の朝明るくなってから見たらすぐ隣にめちゃくちゃきれいなちろりん村があってさ、あ~な~んで俺はほんの後もう少し、がんばって走らなかったんだろう~、ってすげえ後悔したんだよね。」

「でもさ、二軒ハウスが並んでる所なんて滅多にないから、普通一軒あったらそっちに入っちゃうよ。しかも自転車じゃさ、次何キロ先かわかんないし、通り過ぎるのって勇気いるよ。」

「そうなんだけどさ、人生だなあって思ったんだよね。ほんとに後少し我慢して走っていたらきれいな方があったんだなあって。」

「あはは~。」

後日談

実は文ちゃんにはその後がある。野菜を送るから住所を教えて、と言っていた文ちゃんから、本当にダンボール箱いっぱいの野菜が届いたのだ。その時は一人暮らしをしていたので、とってもうれしかった。にんじん、ほうれん草、じゃがいも、たくさんごろごろ入っていてとても重かった。「後で送るから」という人はいるけれど、本当に送ってくれる人は割りと少ない。私は文ちゃんから荷物が届いたときびっくりした。お礼の電話をすると「だって送るって言ったら送るよ~。」と彼は笑って言った。

北海道旅行の次の月に私はモルディブに仕事で行くことが突然決まり、彼はとうとうインドに旅行に行くことにした、と言った。モルディブで仕事をしている間、「今サイババの家に居候してます~」などの相変わらずなメールが何通か来た。文ちゃんは何ヶ月かインドを旅し、私は2年間モルディブで働いた。メールで私も結婚したことや妊娠して夫のロビちゃんと日本に帰国することなんかを近況報告した。

日本に戻ってから、2年半ぶりくらいに会おう、ということになった。文ちゃんは関東圏にいるから、私の実家の近くまで行けるよと言ってくれて、うちから電車で3駅の場所で待ち合わせをした。ロビちゃんはその日バイトが入っていたので、私だけ出かけた。でもお互い2年前にたった一日会っただけである。わかるかな~と思いながら、待ち合わせ場所の広場でベンチに座った。私は道内旅行の頃はショートカットヘアだったけど、この時は長くてド金髪だったし、日に焼けてもいた。

でも、文ちゃんは駅から出てきて迷うことなく私の方にまっすぐ来て言った。

「久しぶり!」

私は文ちゃんがあんまりわからなかった。「ええ~!よくわかったね!久しぶり~!」

「すぐわかったよ。だってこの広場で待ってる人の中で一番日本人らしくないんだもん。」文ちゃんは笑った。

確かに私はその時昔バンクーバーで買ったネパールかどっかの民族衣装風の服を着ていた。それが大きめで妊婦でも着られたから着てただけなんだけど、確かに金髪でそれを着ていてちょっと妙だった。文ちゃんは人なつっこい笑い方が変わらない。

「俺も、そろそろ旅人やめようかと思ってるんだ。」お茶をしながら文ちゃんは言った。「もう何年も旅人やっててずっと住所不定でさ。でもそろそろ旅を形にできたらいいなと思ってるんだ。」

その後、文ちゃんがどういう風に旅を形にしているのか、まだ聞いていない。

そしてそれからまた2年後、ひょんなことから私はミリオネアに出たのだが、オンエアされてからすぐに文ちゃんからメールが来た。

「なんか知ってる人がテレビに出てる???と思ったらヒロコだったんですけどー?!」

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ほうれん草の味噌汁と駅長

私は文ちゃんと夜中まで話しこんだ。後の部屋にいた2人は先に寝てしまった。文ちゃんももちろん次の日仕事があるのだけど、ついつい旅の話で盛り上がってしまった。私も文ちゃんの話を聞いているのはとても楽しかった。

「ところで、ヒロコは今日はどこから出発したの?」文ちゃんが聞いた。

「納沙布から。鈴木食堂って知ってる?あそこ。」

「納沙布!いくら車だからってずいぶん走ったねえ!一日の距離じゃないでしょー!なんでまたそんなに走ったの?!」

「いやあ・・・なんでかな?そう言われても自分でもわからないんだけど、とにかく前へ前へ進んじゃうんだよね。途中で観光名所とか、もっと止まって見てみてもいいと思うんだけど、なんか、走り進んじゃうんだよね。そしたらここまで来ちゃったんだよね。」

「うん、その、前に前に進んじゃうっての、気持ちわかるよ。説明できないけどさ、なんかすごいよくわかるよ。」

人間が、ずっと昔もアフリカからどんどん歩いて移動してきて、世界中に広がっていったのは、とにかく前に進みたいと思う人間と、定住して落ち着きたいと思う人間がいたからだと思う。私は間違いなく後者だ。定住するよりも、違う所に行きたい。そしてそこを見知ったら、また違う所へ、出かけて行きたくなるのだ。理由なんかない。ただ、知らない新しい場所を目指すのが楽しい。こうやって車で楽してても、進んでいる!っていう感覚がすごく楽しいのだ。もちろん、文ちゃんみたいに自転車ですべて自分の力で進んでいたら、充実感はケタ違いだろうけど。

私たちは途中からお酒を飲みながら、すっかり意気投合して、いつかインドに行ってみたいねえなんて話で盛り上がった。また、私が道内に入ってすぐに警察に家出だと思われた話をしたら、文ちゃんは笑って言った。

「それは、ちょうど何かあったんだよ。ほんとに家出とか、捜索願いが出てたりしてさ。」

「な~るほど~!そうだよね、じゃなきゃそんなヒマじゃないよね。」

「あのね、何かやって逃げてる人で、罪悪感とか自殺願望がある人はわりと北に逃げるんだって。でそういうの何にもなくてただ逃げてる人は南に行くんだってさ。」

「へえ~?!ほんと?」

「いや、聞いた話の傾向ね。」

「でもなんとなくわかる気もするよね。」

「そんな道の駅とかで寝てたりしたんだ。」

「そうだね、道内ではライダーハウスがあるから最近は泊まってるけど、四国では毎日道の駅だったよ。ここは今日寝るのにいいかな~とか、あ、ここはやだなとか感覚で決めてさ。大体コンビニで何か食べて。」

「もしかして今日もコンビニだった?」

「うん、道内ではほとんどおでんだけどね。あったかくておいしいから~。」

すると文ちゃんがいきなり立ち上がった。「それじゃ、おいしい、いい食べ物作ってあげるよ。」

「いい食べ物?ってなに?」

「今日畑で採れたほうれん草の味噌汁。」そう言うと文ちゃんは廊下に出た。私も後をついて行くと、廊下の洗面台の横のテーブルに携帯用コンロが置いてあった。文ちゃんは慣れた手つきでほうれん草を洗って切り、なべで煮始めた。

「ここって自炊なの?これ使っていい共同台所なの?」

「違うよ。これは俺のマイコンロ。自転車でいつもこれ持って旅してるんだ。なべ一個あるとラーメンとか色々できるからね。」

そんなことを話しているうちにほうれん草が煮えてきたので、文ちゃんは味噌を入れて味噌汁を完成させてお椀に入れてくれた。私はほうれん草の味噌汁というよりは、ほうれん草の味噌煮みたいなお椀を見て感動した。だって新鮮野菜は久しぶりなのだ。食べてみるとほうれん草がやわらかくてすっごくおいしかった。でもあんまりたっぷり入っているのでほうれん草だけでものすごいお腹いっぱいになった。

「明日は人参を収穫するからさ、また宝来においでよ。そしたら俺が採った人参ごちそうするよ。」

「わかった。じゃあなるべく遠くまで行かないでここに帰ってこられるようにするよ。」

そして私たちはお互い翌日のことを考えて、いい加減寝ることにした。私はすっかり酔っ払っていい気分で自分の部屋に戻るとすぐにぐうぐう寝てしまった。

宝来出発

翌朝起きると、文ちゃん達はもう仕事に出ていて、いなかった。私は荷物をまとめるとおばあさんにあいさつに行った。おばあさんはなんだか奥の広い畳の部屋でちゃぶ台を囲んで座っていた。もう一人、いかにも若そうな男の子が一緒に座っている。私が出かける旨とお礼を言うと、おばあさんは私にじゃあ気をつけて、と言って早々にまた自分の話に戻っていった。なんだか、その若い男の子にお説教してるみたいだったが、その男の子は全く無表情で、でもすごい世の中のすべてにおびえているみたいで、妙な感じだった。ほんとに何かから逃げて北海道まで来た若者をカウンセリングしてるみたいだ、と思った。

ナイタイ高原

そろそろ山も走ってみてもいいかな~と思い、ナイタイ高原に行ってみることにした。ここならそんなに遠くないから夜には宝来に戻れるかもしれない。でも富良野からまっすぐな道がないので、上か下にぐるっと回って行かなければならない。

どうも天気の良くない日が続いていて、この日もどんより曇っていた。曇っているととても肌寒い。山なので上の方に行くにつれ段々霧まで出てくる始末。でも道路の両側に広がる緑はとってもきれいでいかにも高原といった感じだ。この高原の上にある牧場に行ってみることにした。牧場に到着する前から、「若者よ!酪農をやってみないか!」というような看板が目についた。ほんとに、仕事がいっぱいあるように見える。それとも人がいないのか。

駅長さん

牧場に着くと、とても広い駐車場になっていて、そこに車を停めて牧場に降りられるようになっていた。私は車を停めてまず駐車場内にあるトイレに入った。そして車に荷物を取りに行くと、やはり駐車場にいた夫婦が話かけてきた。

「この車**ナンバーだけど、君の車?どこから来たの?」

「はい、私です。横浜からです。」するとおじさんが聞いてきた。見た感じ私の親くらいの年齢だろうか。

「横浜からって、どこからのフェリーに乗ったの?」

「大間です。なるべく陸路で来たかったので、東北自動車道を走って来ました。」

「ええ~!!」夫婦2人揃ってものすごいびっくりされていた。「横浜って、でも車のナンバーは**だけど。」

「あ、それは実家なんです。実家の車で。」

「場所はどこ?何駅?」

「@@線の&&&駅です。ご存知ないと思いますけど。」

「いや、わかりますよ。実は私、新宿駅の駅長なんです。@@線なら新宿から出てますよね。」

今度は私がびっくりする番だった。だって駅長って言ってもただの駅長じゃないのだ。あの巨大駅、新宿の駅長なのだ!それってもしかしてすごい人じゃない?

「今、遅い夏休みを取って妻と2人で旅行に来たんですけどね、あ、もちろん私たちはレンタカーですよ。飛行機で来たから。それにしても、ずっと一人で車で走って来るなんて・・・。私たちにも娘がいますけど、女の子で車で一人旅なんて・・・。」もうおばさんの方は絶句されていた。そりゃ、自分の娘がもし一人で北海道まで車で行きたいなんて言ったら普通の親は反対するのだろう。私の親は結構免疫ができたというか、あきらめているところがあると思う。

「すごいですよ、いやあ~、気をつけて、がんばってね。いやあ~それにしても・・・。」おじさんは最後まで驚きながらがんばってと何回も言ってくれた。私は他のライダー達や文ちゃんともう出会っていたので、自分のやっていることをすごいと思わなくなっていた。だって私は車でほんとに楽に走っているのだ。でも新宿駅の駅長さんなんてなかなか会える機会はなさそうだから、ちょっとうれしかった。旅って出会いだ。

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