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ハチミツ

ハチミツは、私が一番最初に買ったスピッツのアルバムです。結構古いけど、ロビンソンが入っているので持っている人多いですよね。

最初は友達の車で聞いたのですが、何年たっても頭の中で回ってもう一度聞きたいと思うので、とうとう自分で買った後、すっかりスピッツにはまりました。今でも車の中ではほとんどスピッツしかかけないので、ロビちゃんに「ラジオにしようよ。」と言われるくらいです。(車中に置いてあるのがスピッツだけなので)ロビちゃんはスピッツを一番たくさん聞いているモルディブ人ではないでしょうか~。

そんななので娘もしっかりスピッツを覚え、一緒に歌います。「ママ、ママはスピッツが大好きなんだね。」と先日まじめに言ってました。3年間聞き続けて突然そう思ったみたいです。ハチミツも歌います。

「ハチミツ」の「間~に合~わせてし~ま~え~♪」という部分を歌って一言。「ママ、この歌はどこの島へ行くの?」な~るほど~!「島へ~」とも聞こえますよねえ!

「ハチミツとクローバー」は雑誌の連載で読んで知りました。弟がいつもマンガ雑誌を買ってくるので、それをありがた~く読ませていただいていて、その中にありました。読んで楽しくて単行本を全巻買いました。こういう時大人っていいな!と思いますね。いっぺんに買えるもんね。この「ハチミツとクローバー」のハチミツはスピッツの「ハチミツ」から取ったのだそうです。このアルバムの中には「歩き出せ、クローバー」という歌も入っていて、私はてっきりクローバーもこのアルバムから取っていたのかと思っていましたが、クローバーはスガシカオさんの歌からなんだそうです。私はスガシカオさんのはよくわかりませんが。

ハチミツのアルバムは北海道の旅で本当によく聞きました。中でも「歩き出せ、クローバー」は壮大な感じがして、北海道の景色と良く合って、感動的でした。ちょうどこの曲が流れている時に走った緑広がる草原の中の道を忘れられません。この曲も、聴いているだけで絵が何枚も描けそうなイメージあふれる歌で大好きです。

「ハチミツとクローバー」は美大生の話で、美大受験をして美術科に進んだ私にはとても懐かしい内容です。せりふひとつひとつや、登場人物が制作活動で悩むことなんかがどれも懐かしいんですね。「悩んでる時は、とにかく手を動かせ」とか、もう~私もよく先生に言われたなあ~~~!って。悩むと描けないんですよね。でも悩んでてもしょうがないから、そんな時はとにかく手を動かして作って作って作りまくる。この、悩んでる時の「作りまくる」が、ものすごく苦しい。でも、それを抜けると何かが見えてきたりする。見えてきてるんだけど、やっぱり苦しいのは続く。なんてことの繰り返しですね。

しかもこの「ハチミツとクローバー」の登場人物の一人は、北海道まで自転車で旅に出ます。これが、旅をしたことのある人間にはとてもリアルに書かれてて、これまた懐かしいんです。私は自転車で旅をしたことはありませんが、地図を見てルートを決めるのとか、食費の切り詰め方とか、やったことがないと実感できないことがたくさん描かれてあって楽しいです。

私は今本当に何も描いていません。絵を描くにはやっぱり、まとまった時間が欲しいので子供といるとなかなかできないし、集中するのが必要なので途中で途切れるならやりたくないと思ってしまうのも事実です。自分の人生の中で、一番絵を描いていない時期だと思います。私の10代20代は絵ばっかり描いてきたので(20代後半は仕事ばっかりの頃もありましたが)、30代は子育ての時期なんでしょうね。おかげで禁断症状で、娘とぬりえをすると夢中になってしまいます。娘が飽きて他のことをしてても、一人でまだ塗ってます。色を駆使して立体感を出した力作も、娘に「ママ、これへんだよ。」とか言われてます。3歳児に立体感はいらないみたいです(^^)。

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~スピリチュアル編~つづき

バイト先の上司のOOさんも一緒にその先生とうちまで来てくださった。人だけでなく家を視るのも大切らしい。

その先生は私の背後霊とか、家のこととか、色々おっしゃっていた。私も全部真剣に聞いていたが、全部信じたわけでもなかった。「それでだったのか!」みたいな、ものすごく思い当たるフシとかも特になかったし、大体背後霊とか、守護霊とかは正解は誰にもわからないものである。なので、自分から頼んだし興味もあったので真剣に話を聞いたけれども、だからと言ってその先生の話を100%信じるという気にもなれなかった。

でも、先生が「ご先祖のお墓参りをした方がいいでしょう。」と言った時、確かにそうかもしれないと思った。私を守ろうとしている先祖の霊が背後にいて、子供の頃は体の弱かった私を守るのにちょうど良かったが、大人になったらその力が余るようになって周りにとばっちりが行っていると言うのだ。

本当かどうかはさておき、確かに私は子供の頃体が弱かった。そして父方の先祖というか、親戚はまったく付き合いがなかった。母方はみんな東京だし、親戚もたくさんいるので、誰かしらなにかやってはいるだろうけど、父方の出身は奈良県で本当に疎遠だった。私自身、奈良には行ったことすらなかった。大体関東圏の学校はみんな修学旅行で奈良・京都に行くものだが、私の通った学校は違う場所に行ったので一度も奈良県には行ったことがなかった。その背後霊の人が父方の人かどうかはわからないが、父方の墓のことは、自分達はほったらかしているのは事実だった。果たして奈良にいる親戚の中には(どういう人たちがいるのかすら知らないのだが)、誰かお墓の手入れとかをしてくれている人がいるのだろうか?

と言っても父は子供の頃に祖父に連れられて大阪に出て来ているし、その後は東京に住んだので奈良県にいたのは本当に子供の頃だけだ。祖父は確かに、法隆寺村の出身で法隆寺の目の前に住んでいたといつも言っていた。そういえば祖父としゃべっても奈良弁で意味がわからないことが多かったっけ。

私はその先生に視てもらってから、奈良に行って父方の墓参りをしてみたいと強く思うようになった。奈良にも行くいい機会かもしれない。その先生に父方は奈良だと話した時、墓参りと、もうひとつ、行くように言われた場所があった。国宝の刀が納められている有名なお寺だ。どういうつながりがあるのかわからないが、とにかくそこにも行けと言われたのだ。

「お母さん、私奈良に行ってみるわ。で、お父さんの方のお墓と、そのお寺に行ってみるよ。」

「そうね。一度も行ったことがないんだし、ここで行ってみるのもいいわよね。」

お墓の場所がいまひとつはっきりしなかったが、祖父はその頃認知症で入院していて、私を見ると「おお~悟~良く来たな。」と父と間違えるので(私は父そっくりなので)何も聞かずに行くことにした。わかっているのは「法隆寺の目の前」だけだ。

私はやはりお父さんを亡くしたばっかりの、付き合い始めた彼と一緒に、当時新車だったティナ坊で行くことにした。こう考えてみるとティナ坊は実に色んな場所に行っている。どうも私はどこでも車で行きたくなるらしい。

まず彼の家に寄って彼を拾い、一気に奈良まで出発した。2人で交代しながらまっすぐ奈良県に向かった。目指したのはもちろん法隆寺である。

昔の法隆寺村は今では斑鳩郡(いかるがぐん)という。斑鳩郡に入ると、お店の看板とかにうちと同じ苗字がぽつぽつ現れた。芸能人や歌舞伎役者にもいる名前なのでそんなに珍しく感じないが、実際には学校でも同じ苗字の人には会ったことがない。イベントの仕事で一度だけ同じ苗字の女の子に会ったことがあるが、彼女一人だけである。いくつか看板があるのを見て、やっぱりこっちの名前なんだなあと実感した。

まず法隆寺に着いて車を停め、中に入って事務所のようなところを見つけて中に入ってみた。なんか若い住職っぽい和服の人がいたので、とりあえず聞いてみた。

「父がここの出身で、先祖代々の墓が法隆寺にあるといつも聞いて来たのですが、この辺でそういうお墓はないでしょうか?」

すると彼は少し考えてから住職らしく言葉を選びつつ、教えてくれた。

「この法隆寺には個人の墓というものはありません。でも、この法隆寺のすぐ裏に小高い丘があって、そこに昔からの地元の人たちのお墓があります。そちらかと思います。途中石屋さんがあって、そこを登っていくと上にありますよ。」

このありがたい情報を得て、私達はすぐ裏に回った。すると言われた通りに石屋さんがあって、墓石を削っている音が聞こえた。私と彼はその石屋さんにもちょっと聞いてみた。

「ああ、このすぐ上が墓になってるよ。あんたたち、場所はわかってんのかい?」

「いいえ、名前だけで探そうと思ってるんですが。」

「う~ん・・・・・・。ま、がんばりな。」

ちょっと不安が残るこの言葉の意味はすぐにわかった。丘の上はずら~~~っと墓だらけでとても広かったのだ。この中からうちの**家先祖代々の墓を名前だけで探すのはかなりな労力だ。私達は山いっぱいに広がるお墓をみつめた。真夏の奈良の炎天下で信じられないくらい暑かった。汗をだらだら流しながら、ひとつひとつ、下から墓石の名前をチェックしていった。

かなり上に登って二箇所、うちと同じ苗字の「**家先祖代々の墓」をみつけた。そういえば、おじいちゃんは見晴らしのいいお墓だと言っていた。もっと早く思い出せば、上から探したのに~!そして二箇所あるがどっちなのかわからないので両方ともお参りしておくことにした。水できれいに洗い、買って来たお花を供えて両手を合わせた。あっけない感じがしたけど、これでいいのかな・・・???

汗とほこりでどろどろになりながら私達は墓の丘から降りて、次は刀のお寺に向かった。こちらは国宝なので見ることすらできない。ただそのお寺に行ってお賽銭を入れてお参りし、少しのんびりしただけだった。

奈良で用事を済ませた後、私と彼は京都の清水寺を観光し、その近くで生八橋を食べたり、大阪に行ってたこ焼きを食べたり寄り道をしながら帰ってきた。このへんはもうすっかり楽しくなって、当初の目的は忘れていた。

それからまた2人で交代で運転しながら戻ってきて、まず彼の家の横浜に到着した。横浜に着いた時は最後私が運転していたので、私はとっても疲れていて彼の家で少し休むことにした。今までも何度も遊びに行っていたのでおばさんも「ヒロコちゃん、おかえり。疲れたでしょう、寝ていきなさい。」ってな感じだった。

私は彼の家の2階にある彼の部屋に行き、さっさとベッドにもぐりこんだ。ものすごく眠かった。車の長時間運転は目と頭がとても疲れる。まだ昼間だったけど、とにかく寝て休みたかった。部屋はカーテンが閉めてあって薄暗くなっている。平らに寝っころがるとふぅ~っとため息が出る。気持ちいい。このまま寝ちゃおう・・・。

半分くらいうとうとしていると彼がまだベッドのわきに突っ立って私を見ている。どうしたんだろう、寝ないのかな?疲れてないのかな?彼も疲れているはずだけど。私は不思議に思いながら眠い目をこらして彼を見た。ベッドの横に立って私を見下ろしているけれど・・・あれ?何かが違うことに気が付いた。彼ってこれくらい背があったっけ?彼は私より数センチ背が高いだけで、決して背が高いとは言えなかった。でもこの人はどう見ても彼より身長がある。ちょっと首をかしげて私を見ている姿は彼そっくりだけど、彼じゃない!

じゃ、誰?!

私はびっくりしてベッドから跳ね起きた。すると・・・・・・その人はすぅ~~~っと何本もの細い糸に分かれるみたいに空気に溶けて消えてしまった。

私は目も口もあんぐり開けたまま、眠気も一気に吹っ飛んでベッドに半身を起こしていた。そこにちょうど彼がやってきた。

「あれ?寝てるんじゃなかったの?目が・・・まんまるだけど。」

「今、どこにいたの?」

「え、下でヒロコのお母さんに電話してきたんだよ。今着いたけど疲れてるから、少し寝てから送りますって。」

「あのさ、Sくんのお父さんって身長Sくんより高かった?」

「え?いきなりどうしたの?」

「いいから、」

「うん、俺最後までおやじの身長抜けなかったんだよね。それはほんと悔しいよ。で、なんで?」

「Sくんって、お父さんと似てたでしょ?」

「そうだね、兄貴より、俺の方がおやじ似だな。背格好がそっくりだっておふくろ良く言ってるよ。」

「やっぱり・・・・・・。」

「だから、なんだよ。」

「今、いたの。」

「?誰が?」

「ここに立って私のことじーって見てたの、きっとSくんのお父さんだよ。最初はSくんが見てるんだと思ってたけど突然Sくんより背が高いことに気が付いて飛び起きたら・・・・・・、消えちゃった。」

「ええええ~っ!?マジで!?」

「マジだよ!ぎゃ~~~~~っ!!!」恐怖というのは、後からじっくりやってきたりする。

でも、もう一回出てもお父さんだからまあいいか、ということで私達はそのままそのベッドでとりあえず寝た。それくらい疲労というのは人の神経を図太くするものらしい。

本当にこの旅が功を奏したのかはわからないが、墓参りと寺参りをして、Sくんのお父さんにお会いした後、私の周りの不幸はぱったりなくなった。

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恐怖体験~スピリチュアル編~

大体、長期間に渡ってではあったが、私の周りに怪我や不幸が多かった。

始めは私がアメリカに行った時にさかのぼる。

大学の新学期に向けて寮が開くまでの2週間、ホームステイをした。学校から近くの家で、毎年留学してきた新入生を受け入れてくれていた家族だ。

私がその家に行って数日後、おばあちゃんがガンとわかり、入院した。毎日病院にお見舞いに行くホストファミリーと一緒に私も病院に通った。そしてある日病院から戻ってくると、電話が鳴っていた。ガレージにも子機があったのでおじさんがそれで電話に出ると、ホストファミリーの息子が友達の運転していた車に乗っていて車ごと崖から転落、おばあちゃんと同じ病院に担ぎ込まれたという知らせの電話だった。私達は家に入る間もなく、病院にとんぼ返りした。幸い息子の怪我は軽かったが、寮が開いて最初の週末におばあちゃんは亡くなった。私はスーツケースひとつでアメリカに行ったばかりだったので、友人から黒い服を借りてお葬式に行った。

それから数ヶ月後、私の一年先輩の日本人留学生が車で事故を起こした。運転の練習中に反対車線にはみ出し、対向車と正面衝突した。その留学生は私と同じ家にホームステイしていた。ホストファミリーのおばさんから電話がきた。

「ヒロコ、一緒に彼女のお見舞いに行く?」

「うん。」私はその人に会ったことはなかったけど(大きな大学だったので)、行くことにした。

病室のベッドで彼女はとても痛そうで苦しそうだったので、私達は少しだけいて、すぐに引き上げた。彼女は数日後に亡くなった。

それからしばらくは何もなかった。3年目に私はアメリカから単身カナダに行き、バンクーバーで部屋を探した。昔ウクライナから移住してきた老夫婦が部屋を貸していて、そこに下宿することになった。貸している部屋は3部屋あって、イギリス人の男の子と、中国人の女の子が住んでいた。私はその最後の部屋に入った。

私が引っ越した次の日、老夫婦のおじさんが仕事中に高い所からガラスの上に落ちて、腕を深く切る大怪我をした。おじさんはギブスと包帯で手がぐるぐる巻きになり、家に帰ってきてからも神経も血管も切れて動かせない手をずっとさすっていた。

私はすぐにバイトを始めて、数ヶ月たったある日、さあバイトに出かけようとしたら、おばさんがサーモンをさばいていて左手の親指をばっさり切ってしまった。

「サーモンなんて何百回もさばいているのにどうして切っちゃったんだろう!」と言いながら押さえていた親指から血があふれ、何針も縫うことになってしまった。

私はもうすっかり気味悪くなっていた。どうも、自分が来てすぐ、というパターンが多い。もちろん全部自分のせいだなんて思わないけど、なんだか嫌なものを自分が運んでいるんじゃないかという気がしてきた。

そしてカナダに来て一年経つという頃、私はとうとう就職先を見つけた。バイトしながら本当にやりたい仕事を探していたのである。そこが1月から仕事を始めましょうと言ってくれたので、私は12月始めに日本に里帰りすることにした。仕事を始めたらしばらくは日本にも帰らずに真剣に仕事に打ち込みたいと思ったので、その前に家族や友達に会っておきたかったのだ。

日本に帰る前日に母に電話で確認すると、母が言った。

「お父さんね、昨日入院しちゃったのよ。風邪こじらせてねえ。だから誰も迎えに行けないんだけど、成田から一人で帰って来てくれる?」

私は前にも一人で成田から帰ったことなんてあるし、別に全然かまわなかった。

「お父さんも年ねえ。」母は笑っていた。

日本に着いて次の日、父の病院から呼び出され、検査でガンとわかったと告知された。余命は一年もないだろうとのことだった。

私はまず「またか!」と思ってしまった。私が移動してから次の日に何か起きるというのが結構多いのだ。でもまさか次が自分の父親だなんて。

私は苦渋の選択をしなければならなかった。日本に帰国することにしたのだ。もともとの里帰りの予定通り一旦カナダに戻り、決まった仕事を断ってアパートも全部引き払い、カナダを後にした。

日本に帰ってからは店を手伝ったり病院に通ったり忙しい毎日が続き、父は10ヶ月後に亡くなった。

父が亡くなって数ヶ月後に、お葬式にも来てくれた友人のお父さんが亡くなった。

同じ頃に母の友人のだんなさんが亡くなった。

私は店を毎日手伝っていたので、外に出たくなって短期のアルバイトをすることにした。企画会社の雑用で、大きなイベントが終わるまで3ヶ月間という期限付きだった。そしてその頃ちょうど、「これって私達は付き合ってるって言えるのかな?」というような人が私にできた。私は昼間はバイトをし、バイトが終わった後はその彼と車であてもなくドライブする日が続いた。

その日もドライブをして夜中に彼が家の前まで送ってくれて、「また明日」と約束して別れた。そして明るくなってから電話をすると、いきなり驚くことを言われた。

「昨日、おやじが死んだんだよ。だから、今日は行けない。ごめんね。」

なんだか、背筋がぞっとした。「お父さんが死んだ」というフレーズはその頃自分が使ってばっかりだった。それを突然彼から聞くとは思わなかった。彼のお父さんは全く元気で、その日もいつもと同じように仕事に行ったのだそうだ。そして家に帰って来てお風呂に入った。あんまりお風呂が長いのでお母さんが見に行くと、湯船の中で意識を失っていたのだそうだ。

「昨日の夜は私と外にいたから死に目に会えなかったね。ごめんね。」私はものすごく悲しかった。自分は自分の父親の死に目に立ち会ったのに、彼の時間は奪ってしまったような気がした。

「いや、脳出血とか、脳溢血とかでほぼ即死だったらしいよ。だから家にいたって駄目だったよ。おふくろだって家にいたわけだけど、気が付いた時にはもう死んでたんだし、こんなの誰のせいでもないよ。」彼はそう言ってくれた。でも私はこれで確信した。お払いとか、何かをしよう。なんだかとっても気味が悪い。

その頃通っていたバイトの企画会社は変わった会社だった。代々木上原の外国人用のマンションの一室を事務所にしていたので、中身は会社というより、洋風の高そうな住宅という感じだった。広い部屋がいくつもあり、キッチンがあり、洗面所とお風呂があった。私は雑用だったので朝一番に行き、キッチンでお茶を淹れて飲んでから仕事を始めていた。私はそこのつくりが素敵で気に入っていて、朝のひとときのお茶が結構好きだった。一人で日が差し込む中お茶を飲んでいるとすごく落ち着いた。

ところが、不思議なことに気が付いた。お茶を淹れていると、ふと、誰かがキッチンを覗いているような気がするのである。気がするだけなので、私も無意識にふっとその方向に振り向くのだが、もちろん誰もいない。へんなの、と思いながらこっちを向くとまた、背後で誰かが見ているような気がする。

私はあまりにいつも気配を感じるので、ある日、会社の共同経営者のうちの一人の女性にちょっと聞いてみた。

「あのぅ、OOさん、変なこと聞いていいですか・・・・・・?」

「うん、なあに?」

「あの、ここって・・・・・・誰かいますよね・・・?」私はドキドキした。いきなり変なこと言うバイトだと思われただろうか。ところがOOさんの返事は意外なものだった。

「あら~、あなたもわかるの?おもしろいわねえ!ここに来る人み~んなそう言うのよね。」

えええ~~~!それって~おもしろいってのと違うんじゃない~?!

「で、あなたはどんなのが見えるの?」

「いえ、私は見えるとかじゃないんですけど、キッチンにいると必ず誰かに見られてる気がするんですよ。で、振り返ると誰もいないんです。でも、無意識に振り返った自分の視線がわりと低いので、子供か動物かなぁ・・・・・・と思ったんですが・・・動物ならもっと低いはずだから、子供ですかねぇ・・・・・・。なんか、わぁ~っって通り過ぎる感じもするので、子供がふざけて走ってるような。座敷わらしとか・・・まさかですよねぇ・・・。」

「ふ~ん。おもしろいわねえ。でもね、ここに来る人ってみんな何かいるって言うのよね。あなただけじゃないのよ。だからほんとに何かいるんでしょうね。残念ながら私には全然見えないんだけど、私も一度感じてみたいわ。あなたもきっと霊感強いのね。」

いや、そんなにたくさんの人が何かいるって感じるなら、それは私の霊感が強いとかじゃなくて、その「何か」の方がとっても強いやつなのでは・・・???

「うちね、視てもらってる方がいるんだけど、その方がうちにいるのは竜神だって言ってるのよ。」

「はあ・・・、竜神ですか・・・。」竜神ってどんななのだろうか?見当もつかん。

「でも竜神は商売の神様だって言うから、その竜神はうちの会社にとっては良いらしいの。」

「はあ、なるほど。」たしかに、その会社は経営がうまくいっていて、とても潤っていた。

「あそこに神棚があるでしょう。」

「はい。」

「あの神棚にちゃんと神様が入ってくれたってことらしいのよね。それが良い具合に竜神様なんだったと思うの。だから大事にしないとね。」

「そうですね。」私は正直半信半疑だったが、その「何かいる」と感じる時あまり怖さを感じていなかったので、まぁ恐ろしいものではないのだろうと勝手に納得した。そしてふと、聞いてみた。

「その視てくれる人って個人的に頼んで視てもらうことってできるんですか?」

「あら、視てもらいたいの?頼んであげるわよ。」

私はなんとなく、その「視える人」に自分のこの不幸続きはどうしてなのか、聞いてみたくなった。

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恐怖体験~人為的編~

私が小学校2年生の時の3月3日のことである。

その日はひとつ上の姉にどういうわけかたくさん宿題が出ていて、いつも帰ってきたらすぐにすませてしまう姉が、まだ宿題が終わらないでいた。母も「どうして今日はそんなにいっぱい出たのかしら。」と不思議そうに言いながら、「いいわよ、夜ごはん食べたらまたやれば。」と言って、姉をテレビに背を向けるように座らせた。うちの居間では全員の座る位置があって、自分の定位置以外には座らないのである。いつも姉の座る位置はテレビの目の前だから、テレビを見ないで宿題ができるように向かい側に座るよう言ったのだ。

姉はテレビに背を向けて宿題をしていた。テレビは消していたので別にそこじゃなくても良かったのだが、そのままやっていた。私は姉の定位置が空いているので、そこに座ってみることにした。いつもと違うことが起きる日は、ちゃんと前触れがあって、その前からいつもと違うことが進んでいるものである。私はわざわざ姉の席に座った。

テレビも消えているし、ヒマなので何か読むことにした。懐かしいテレビ番組の「まんが日本昔話」のマンガ絵本を読むか、と手に取った。もう何度も読んでいたけど他に読みたいものもなかった。母は弟と一緒にお風呂に入っていた。時間は8時45分くらいで、店が9時で閉店ということもあり、父は店で一日の計算をしていた。とても静かだった。

本を読み始めてすぐだった。

突然ガタガタッとものすごい大きな音がして、私はびっくりして本から顔を上げた。すると居間とお店との間の廊下に、父と、タオルで作った覆面をかぶった知らない人が取っ組み合って立っていた。

「え?」

人間は全く予期しない事が起こった時は、本当に頭が真っ白になるものである。目の前の光景が、目で今見ているのに理解できないのだ。

「ていうか、ダレ?」

するとその男の人はすぐに私に駆け寄って私の髪の毛をわしづかみにした。ここで私は突然理解した。そう、彼はうちの店に入った強盗だったのだ。

母方の家族がほとんど同じ商売をやっているのだが、大体みんな一度は強盗に入られていた。そして親戚のおじさんとかが、「いやあ、うちもやられましたよ。」とか話をしているのを聞いたことがあるのを思い出した。これだ!とうとううちにもやってきた!しかも、やってきたどころじゃない。私の頭をつかんでいるのだ。ということは、私ってもしかして・・・人質?!

いつもなら、姉が座っている席なのだから、もしあの宿題がなければ姉が座っていて姉が人質になったことだろう。私が不運というより、姉を助ける何かの力が働いたとしか思えない!ていうか、身代わり地蔵かっ?!

強盗は、ジャージの上下を着て、タオルを半分に折って縫い合わせた覆面をかぶり、手には出刃包丁を持っていた。覆面の目のところはちょっとつまんでハサミでチョッキンと切りました、とわかるひし形の穴が二つ、開いていた。適当な覆面だが、顔が見えない人が出刃包丁を持っているというだけで十分怖い。大体、普通の包丁でも怖いのに何も出刃を持って来なくてもいいじゃーん。

私は泣くでもなく、騒ぐでもなく、静かにじっとしていた。でも心臓がバックンバックン鳴っていて、他の人にも聞こえると思うほど耳にこだましていた。あんな心臓の音を未だに私はあの時以来経験したことがない。

父は強盗が居間に入らないようにと、廊下で取っ組み合っていたらしい。父は私と強盗の対角線上になる部屋の隅に立ってこちらを見ている。姉も即座に父に駆け寄ってくっついていた。私はこっち側から、動くこともできず、じっと父と姉を見ていた。

でも、ふとあることに気が付いた。私も今までにない恐怖だったが、私の髪の毛をつかんでいる強盗の手が、震えているのだ。なんだ、自分で強盗に入っておきながら、この人も今怖いんだ。

「100万円出せ!」強盗が突然叫んだ。100万だって・・・。小学2年生の私にはものすごい大金に思えた。

すると父も思いっきり叫んだ。「そんな金ない!」

えええ~~~!私はぶったまげた。だって、いつも見ている「太陽にほえろ!」では、子供が人質に取られたらみんな「か、金はいくらでもやるから、子供だけは!」と言うのがお決まりのセリフだ。ヒーローのゴレンジャーだって子供が悪者に捕まったら「この、卑怯者!」とか言って手が出せないではないか。だからてっきり父もそういうと思っていた。なのに「金はない!」って・・・?!

しかしこの言葉に驚いたのは私だけではなかった。そう、強盗も驚いたのである。きっと、この時の私と強盗は同じ気持ちだっただろう。子供を人質に取っていて、まさかこんなにはっきりと否定されるとは思っていなかったに違いない。その証拠に、彼は聞こえてなかったのかのように、もう一度「100万円出せ!」と繰り返した。私は次どうなるか、ごっくりつばを飲み込んだ。

「だからそんな金ないって言ってるだろっ!!」父は期待も虚しくまたきっぱり言い切った。

ガガーン!!も、もうダメだ・・・。私は思った。ああ意外に短い人生だったなぁ・・・と。もっと普通に大きくなって、大人になると思っていたのに。きっと強盗は怒って私に包丁をブスっと刺すんだ・・・。心臓のバクバク音を響かせながら、私の頭の中はぐるぐる先走った。きっとこの人が包丁を振り下ろしたら、この角度だと首に刺さるな・・・。そうしたら、この太い刃が冷たいんだろうなぁ・・・・・・。いらんことが駆け巡る。でも、不思議とあんまり痛いことを想像しなかった。「痛そう」より「冷たそう」だなと思ったのを鮮明に覚えている。こういう時、子供でも結構冷静にものすごいスピードで色んなことを考えるものである。

2回とも否定された強盗はしばし黙り込み、その静けさの中で私は、さっきまではのんびり安心できる部屋だったのが、こんなに一瞬で逃げなければならない恐ろしい密室になってしまうんだ・・・と考えていた。空気の緊張感が部屋中にピーンと張り詰められている。

「電話はどこだ。」強盗が口を開いた。

「そっちの台所にある。」父が答えた。

すると強盗はすっと私の頭をつかんでいた手を離し、台所に行って壁にかかっている電話の線を切った。すぐに通報させないためだ。それから「金はどこだ。」と言って、父と2人でお店の金庫のある方へ行ってしまった。金庫があるのは奥なので居間からは見えない。

私はまた居間に姉と2人だけになった。少しほっとした。そしてふと台所を見てみると、異変を感じた母が弟に「お母さんが戻ってくるまで絶対出ちゃ駄目よ!」と言い聞かせてびしょびしょのまま服を着て立っていた。そして私に、声を出さずに口だけで「強盗?」と聞いた。私は「うん、そう。」とやはり口だけで答えた。

すると母は台所の壁に付けてあった防犯ベルを鳴らそうと背伸びをした。私はそのベルが大きな音で鳴り始めたら強盗がパニクって怒るのではないかと思い、「お母さん、やめなよ!」と必死で訴えたが、母は無視してあっさりボタンを押した。でもベルは鳴らなかった。

お店の金庫から、強盗はお札を奪って逃げた。台所の電話線は切ったものの、お店にある電話には気づかずに逃げてしまったので、父はすぐにその電話から通報した。強盗も慌てているのでこういうことになるのだ。

当時4歳だった弟は母のいつもとは違う危機感を察知したらしく、普段とは全く違っておとなしく湯船の中で待っていた。母が「あっ!」と言ってお風呂に迎えに行くと、かわいそうにかなりふやけてのぼせていた。

父が警察に電話している間に、もう近くの交番からおまわりさんがすっ飛んで来た。私はその素速さにびっくりした。それからはもう、警察官が何人もやってきて外にはパトカーがいっぱいだし、近所のおばさんまで来るしで大騒ぎだった。部屋に残されていた強盗の足跡とかも(もちろん強盗は靴を脱いで入って来たわけではないので)「あっそこ通っちゃダメ!」とか鑑識の人に止められたり、強盗がどんな服を着ていたかとか、詳しいことを報告したりしてあっという間にいつもの寝る時間を過ぎてしまった。

「あなた達、もう寝なさい。明日も学校なんだから。」もちろん、家の中はまだ警官でわさわさしているし、外にはパトカーのライトがぐるぐる光っている。

「でも宿題が・・・どうしよう・・・。」姉が不安そうに言った。

「大丈夫よ、お母さんちゃんと説明しておいてあげるから。心配しないで寝なさい。」

私達は布団に入り、母は姉の連絡帳にこう書いた。

「昨晩、強盗が入りましたので、宿題ができませんでした。」

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