アメリカからカナダへ
大学を中退した後、3ヶ月くらいアメリカ内の友人をあちこち訪ねて泊まり歩いた。それから、とりあえず日本に戻ることにした。
海外に長く住んで久しぶりに日本に帰ると悪くない気分で日本を受け入れられる。とにかく、ごはんがおいしい。アメリカでは肉とポテトとパンはもう見たくないと思っていた。とにかく大味で、しょっぱいかものすごーーーく甘いか味がないかのどれかだったから、ほんとに辟易した。体重も日本を出た頃より10kgは軽く太っていた。肥満留学だ。とにかく白いごはんと、おいしいお魚とか、がんもどきとか、さっぱりしたものが食べたかった。
ただ何にも考えないで大学を辞めたけど、次に行きたい所は考えてあった。カナダのワーキングホリデーを取って、カナダで働きながら絵を描きたいと思っていた。そこで、日本に帰ってすぐにカナダ大使館に行ってワーホリの申請をした。当時はまだそんなに申請する人が多かったわけではなくて、申請すれば最短3ヶ月でビザを受理することができた。今はワーホリが大人気で申請してからかなり待つらしい。うわさでは一年は待つ!って聞いたけど今もそうなのかしら・・・。私はアメリカから日本行きのチケットと、日本からバンクーバー行きのチケットをすでに買ってあったので、大使館には「このチケットの飛行機に間に合うようにビザをお願いします!」とかなり強気なリクエストをした。今じゃ考えられないね。
申請してから、私はバンクーバーのホストファミリーの家に5年ぶりに電話をかけた。実はこれが私の初めての海外旅行だったのだが、高校2年生の時に、学校が初めての試みとして、希望者だけを募ったバンクーバーでのホームステイを夏休みに行ったのだ。海外に行ったことがなかった私は、もちろん行ってみたくてすぐに応募した。ホームステイは2週間で、そこで私はかなりのカルチャーショックを受けた。日本を出たことのなかった高校生の私には全てが違って見えて驚きだった。こんなに違う世界が普通に存在しているんだ、と思ったし、それを今まで全く知らなかった自分にもびっくりした。
バンクーバーのホームステイから帰ってきて、私は逆のホームシックになった。カナダに行きたくて、バンクーバーに戻りたくて、毎日自分の部屋で泣いた。それくらい、私は新しい刺激にとりつかれた。でもそれから本格的に絵で受験を始め、忙しさで遠い話になってしまっていたが、とんとん拍子にアメリカに留学することになり、あのバンクーバーをよく思い出していた。私はもう一度バンクーバーに行きたくて、カナダのワーホリが取れたら次はバンクーバーに住みたいと思っていた。
時差を考えてドキドキしながらホストファミリーの家に電話をすると、聞き覚えのあるホストマザーの声が電話に出た。
「ハロー?」私はすっごい緊張しながら、「ハロー!5年前に@@学校からホームステイしたヒロコです。覚えてますか?」と一気に言った。すると、ホストマザーのスーザンはとても驚いて「OH~!ヒロコ!覚えてるわよ!」と叫んだ。私はそれで緊張が解けて、これからワーホリを取ること、もし取れたらバンクーバーに行きたいので住む所を見つけるまでの最初の何日かを泊めてほしいことなどを話した。スーザンは快く「もちろんいいわよ。当たり前じゃないの!いらっしゃい!」と言ってくれた。私は本当に本当にうれしかった。
それから、とにかく自給の良いバイトを探すことにした。期限は3ヶ月。でも3ヶ月だけなんて最初から言ったら心象が良いわけはないので、もちろんそんなことは言わない。当時はバブルの最後の大盛り上がり時期でどこもかしこも異常だった。今じゃ考えられない「求人難」という言葉があったくらい、仕事はいくらでもあった。私はフロム・エーで自給1500円のユニマットの飛び込み営業のバイトを見つけ、面接に行き、もう次の日から働き始めた。
そのバイトは一人の運転手が運転する車に女の子が3人乗り、みんなで東京中を走って目ぼしいビルを見つけては勝手に入って行って、中のオフィスに「うちのコーヒーメーカーマシーンを月額レンタルしませんかぁ~!」と営業するすごい押しかけ仕事だった。「オフィスに溶け込めるように」と、スーツ着用だったのだが、私はスーツなんて一枚も持っていなかったので黒のロングスカートに白いワイシャツを着て真っ赤なボレロをはおったりしていた(や、バブルですから・・・)。そして車から「はい、じゃキミはここね。」とビルの前にポンと降ろされ、エレベーターで一番上に行ってから順番に下まで全てのオフィスに「こんにちはぁ~!」とアポなしで笑顔で入って行った。
この営業のポイントはコーヒーメーカーを自分で持って行ってその場でコーヒーを淹れてそこにいる人達にごちそうしつつ世間話なんかをする所だ。みんなこの世間話で気を許す。しかも私はコーヒーの味が嫌いで飲めないので(コーヒー味のするものは全部一切ダメです)、「この豆のブレンドなんか大人気ですよぉ!」なんて言いながらコーヒーを淹れても、自分では飲んだこともないのである。大抵毎日の仕事に飽きているおじさん達は「キミもほら、一緒に飲んでいきなさい。」なんてコーヒーを勧めてくれるのでそこで「あっ、すみません、私ほんとはコーヒー飲めないんです。でもっ、みんなおいしいって言ってるのは本当なんですよ!」なんて言うと、コーヒー飲めない子がこんな重いメーカーを運びながら飛び込み営業をしてるのか、とおじさん達はレンタルしてあげてもいいかなという気になってしまうらしい。私はこのバイトを始めた最初の月にレンタル契約を10台取ってその月のトップ2になった。トップ1はベテランさんだったので、新人としてはがんばった方だったと思う。
中でもおもしろかったのは、自衛隊の幕僚だ。赤坂だったかな?幕僚官舎があって、その中にそ知らぬ顔して入って行って陸上自衛隊幕僚官舎で「こんにちは~!」と営業した。いるのはもちろん自衛隊の偉いおじさん達ばかりで、とても歓迎してくれてお茶もお菓子も出してくれた。おじさんもすっかりその気になって「よし、じゃあレンタルしよう!」と決めてくれたのだが、コーヒーメーカーをセットするとどうしてもブレーカーが落ちてしまうので、仕方なくあきらめた。おじさん達はレンタルできないことをすごく謝ってくれて、敷地内に自衛隊用の生協があるから、そこで買い物していくといいよと教えてくれた。なんでもすごく安くて、しかも色んな自衛隊グッズを売っていた。私は航空自衛隊のテレフォンカード(時代だね!)と、なんか自衛隊まんじゅうとかチョコとか、おみやげのお菓子を買った。
私が行っていたユニマットの事務所は渋谷にあって、毎朝そこでみんな集まって朝礼をしてからそれぞれのグループに分かれて車に乗り込み、一日中都内をぐるぐる回った。同じグループに、私と同じ新人で三ちゃんと呼ばれていた男の子がいた。営業はみんな女の子だったのだけど、三ちゃんはたった一人、その中の男子営業員だった。三ちゃんは新宿でホストをしていたと言っていた。「でも、俺もうどうしても昼間の仕事がやりたくて、辞めてきたんだ。」三ちゃんは大きな口を開けてきれいな歯を見せていつも笑っていた。「いやあ、こんなに明るくて、気持ちよくて、昼間っていいなあ!」と喜んでいた。車を降りてビルに入るちょっとの距離でもいつも走っていた。でも新宿に近づくと、顔はバレているし、無理言って辞めたから怖いお兄さん達に追いかけられちゃう、と言って絶対車から降りようとしなかった。
三ちゃんのホスト時代の話はいつも私達を盛り上がらせた。バイクがほしいんだ~って話をしたら300万ぽいっと出して「これで買ってきなさい。」と言ってくれたおばさん客の話。20歳なのに莫大な額の三ちゃんの貯金の話。でも断ることのできない数々のことにうんざりして辞めたくなったこと。私達はほとんど自給1500円につられてやってきたバイトだったけど、三ちゃんだけがお金に関係なくこの無茶な飛び込み営業を一番楽しんでいた。
私は、「営業はやりたくない」と言って事務をやっていた和製モンローみたいな子と一番仲良くなった。彼女はすっごくかわいい顔をしていて、背が低くて手や足がとても細いのに巨乳だった。彼女は胸が大きいのがとてもコンプレックスで、いつもいやだと言っていた。私達はバイトの帰りによく一緒に買い物に行ったり遊びに行ったりした。彼女は仕事がいやだと言ってすぐに辞めてしまい、その後、香料を作るラボのバイトを見つけて働き始めた。そのラボは香料の粉をビーカーやスポイトで指定の量に量る仕事で、彼女はスナック菓子に使う香料を量る担当になった。彼女が辞めてからも私達はしょっちゅう一緒に遊んでいていて、会うたびに彼女は「ごめん、今日は私、ビーフとバーベキューとカレーの匂いがするから。」と言って笑った。いつも「私もたまにはストロベリーとかオレンジとか、甘い香りを量ってみたいよ~。」と言っていたけど、ずっとスナック菓子の担当をやらされていた。「ヒロコちゃん、好きそうだから、あげるよ。」と、小さなガラスのビーカーやスポイトを持ってきてくれたりした。
そんなこんなできっちり3ヶ月ユニマットで働き、まあまあのお金がたまった。そしてカナダ大使館は飛行機のチケットに間に合うようにビザを発行してくれた。確か12月だったと思う。カナダに行く準備がすべて整った。私はバイトを辞め、稼いだお金を全部カナダドルに換え、スーツケースを一つ持ってバンクーバー行きの飛行機に乗り込んだ。
さあ、今度は一人で出発だ。
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